ゲオルク・シュテラー
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ゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー(Georg Wilhelm Steller, 1709年3月10日 - 1746年11月14日)は、ドイツ出身のロシア帝国の博物学者、探検家、医師である。姓はステラーと表記している場合もある。
履歴
[編集]1709年音楽教師の息子としてドイツに生まれる。説教師を勤める傍ら、ハレ大学(現マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)で神学、哲学、医学、自然科学を修める。1741年7月4日、ヴィトゥス・ベーリングに従い、カムチャツカ、アリューシャン諸島、アラスカなどを探検する航海に同行。探検船がコマンドル諸島の無人島(その後、ベーリング島と命名された)で難破し、隊長のベーリングが病死した後は、自ら隊長となって生き残りの船員を指揮し、無人島からの脱出・ペトロパヴロフスク・カムチャツキーへの生還を果たした。しかし、1746年、ペテルブルクへ戻る途中のチュメニの地で病死した[1]。
出版物 とその影響
[編集]死後、遺稿のなかから『ベーリング海の海獣調査』『カムチャッカ誌』『ベーリング島誌』などが刊行された。この中で、船員らの態度などが辛辣な表現[2]が多く書かれているのは、本人が校正していないためである。シュテラー(および乗組員)が発見し、書籍により存在が伝えられることとなったステラーカイギュウ、メガネウは、皮肉なことに二種ともにシュテラーの報告がもとで乱獲の対象となり、1768年に絶滅した。そのため、彼の書籍が唯一のステラーカイギュウの生態を伝える資料となってしまった。
著書の図版
[編集]日本語訳
[編集]- ゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラー『カムチャツカからアメリカへの旅』
関連項目
[編集]- 壊血病:遭難時には、経験的な治療法により多くの船員を救った。
- トド:欧米の諸語では、シュテラーにちなみ、「シュテラーのアシカ」と呼ばれている。
- オオワシ:英語名は「シュテラーのウミワシ(Steller's sea eagle)」となる。
- ステラーカケス
- コケワタガモ
- ステラ沸石 - 沸石の一種。シュテラーにちなみ命名された。