ゲイリー・スティーヴンス (競馬)
ゲイリー・リン・スティーヴンス(Gary Lynn Stevens、1963年3月6日 - )は、アメリカの競馬の元騎手。アイダホ州カルドウェル出身。
略歴
[編集]父は馬の調教師で兄も自身と同じ競馬騎手。アメリカを代表する騎手であった。1979年にアイダホ州・レボワパーク競馬場で騎手デビュー。1990年・1998年には全米リーディングジョッキーの座に就くなど活躍し、1997年にはアメリカ競馬殿堂(ホールオブフェイム)に選出された。1999年、イギリスのマイケル・スタウト厩舎の主戦騎手として騎乗したが、同年冬、持病となっていた右膝の関節炎が悪化したため(1度目の)現役引退。
翌2000年、アメリカ西海岸地区で現役に復帰。2003年にアメリカの雑誌「PEOPLE」誌の「世界で最も美しい50人」のうちの1人に選ばれた(この50人の中には歌手フェイス・ヒルやハリー・ベリーも含まれる)。同年、アメリカで公開された映画『シービスケット』では主役のポラード(トビー・マグワイア)のライバル‘アイスマン’ウルフを演じた。全米での映画公開後にレース中に落馬。2004年にはフランスのアンドレ・ファーブル厩舎で専属契約を結び、約半年の間ふたたびヨーロッパで騎乗した。2005年11月26日に減量苦とそれに起因する騎乗回数減少をおもな理由[1]として(2度目の)現役引退。
2013年1月、2度目の現役復帰[2]。同年5月のプリークネスステークスでオクスボウに騎乗し優勝。更に同年のブリーダーズカップ・クラシックでムーチョマッチョマンに騎乗して同レース初勝利を挙げた。
2018年11月、脊柱を痛めたため(3度目の)現役引退[3]。
日本では1991年に初めて騎乗し、同年のジャパンカップをゴールデンフェザントで優勝するなど、通算26戦して3勝を挙げ、ワールドスーパージョッキーズシリーズにも参加している。また、2002年5月25日には、ベルモントパーク競馬場の重賞・ピーターパンステークス (G2) において、日本産馬でファレノプシスの半弟・サンデーブレイクで勝利している。
主なGIタイトル
[編集]- ケンタッキーダービー3回制覇(1988年ウイニングカラーズ、1995年サンダーガルチ、1997年シルバーチャーム)
- ブリーダーズカップ・クラシック(2013年ムーチョマッチョマン)
- プリークネスステークス3回制覇(1997年シルバーチャーム、2001年ポイントギヴン、2013年オクスボウ)
- ベルモントステークス3回制覇(1995年サンダーガルチ、1998年ヴィクトリーギャロップ、2001年ポイントギヴン)
- ケンタッキーオークス2回制覇(1986年ティファニーラス、1999年シルヴァービュレットデイ)
- アーリントンミリオン2回制覇(1990年ゴールデンフェザント、1997年マーリン)
- カナディアンインターナショナルステークス(1996年シングスピール)
- ブリーダーズカップ・ターフ(1990年インザウイングス)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル2回制覇(1993年ブロッコ、1999年アニーズ)
- ブリーダーズカップ・マイル(1996年ダホス)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ(1998年シルヴァービュレットデイ)
- ブリーダーズカップ・ディスタフ(1994年ワンドリーマー)
- ドバイシーマクラシック(2004年ポリッシュサマー)
- ドバイゴールデンシャヒーン2回制覇(1999年ランプアンドレイブ、2002年コーラーワン)
- ドバイデューティーフリー2回制覇(1996年キーオブラック、1998年アヌスミラビリス)
- ドバイワールドカップ(1998年シルバーチャーム)
- ナッソーステークス(1999年ザーラットドバイ)
- インターナショナルステークス〈イギリス〉(1999年ロイヤルアンセム)
- モーリス・ド・ゲスト賞(2004年ソムナス)
- ジャパンカップ(1991年ゴールデンフェザント)
脚注
[編集]- ^ 海外競馬速報 2005 競馬の殿堂入りを果たしたスティーヴンス騎手が引退しTVG社のアナリストに(アメリカ)
- ^ 2013 ドバイ ワールドカップデイ 現地取材レポート
- ^ “Hall of Famer Stevens Retiring from Riding”. bloodhorse.com (2018年11月20日). 2018年11月22日閲覧。