ケート・ペルジーニ
ケート・ペルジーニ Kate Perugini | |
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チャールズ・エドワード・ペルジーニによる肖像画 | |
生誕 |
1839年10月29日 イギリス ロンドン |
死没 |
1929年5月9日 イギリス ロンドン |
ケート・ペルジーニ(Kate Perugini、Catherine Elizabeth Macready Perugini、旧姓は Dickens、1839年10月29日 - 1929年5月9日)はイギリスの画家である。作家、チャールズ・ディケンズの娘である.[1]。
略歴
[編集]ロンドンで、チャールズ・ディケンズとその妻キャサリンとの間に生まれた。ディケンズの末娘で、兄弟たちの話によればお気に入りの娘で[2]、ケートやケーティの愛称で呼ばれた。激しい気性から"Lucifer Box"の仇名もあった[3]。
12歳から女性のために作られたベッドフォード・カレッジで絵画を学んだ。
子供時代から、家族と各地を旅し、芝居好きの父親が作ったアマチュア劇団に出演し、1857年にはヴィクトリア女王の前で、ウィルキー・コリンズ作の戯曲「The Frozen Deep」の公演に出演したこともあった[4]。1858年に両親は別居し、子供たちは父親のもとに残った。ディケンズと女優のエレン・ターナンとの不倫か、ディケンズ家に同居して家事をしていた妻の妹のジョージナ・ホガースと妻との対立が別居の原因とされる[5]。
1860年にウィルキー・コリンズの弟で画家、作家のチャールズ・オルストン・コリンズと結婚した。1873年に最初の夫は癌で病没するが、それ以前から、画家のヴァレンタイン・キャメロン・プリンセプと恋愛関係にあったとされる[4]。夫が亡くなってすぐ、イタリア出身で有名な画家フレデリック・レイトンの弟子であった画家、チャールズ・エドワード・ペルジーニと結婚した。
肖像画家(人物画家)として活動し、子供の肖像画を得意とした。1877年からロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展を始め、王立水彩画家協会や婦人芸術家協会(当時の名称はSociety of Lady Artists、後のSociety of Women Artists )の展覧会にも出展した。
文学者のジェームス・マシュー・バリーやジョージ・バーナード・ショーらと親交を結んだ[6]。有名な肖像画家のジョン・エヴァレット・ミレーにはケート・ペルジーニをモデルにした作品がある[7]。
2度目の夫が1918年に亡くなった後、1929年に89歳で亡くなった。
作品
[編集]-
Agnes Pheobe Burra
-
Dor
参考文献
[編集]- ^ Brian Stewart & Mervyn Cutten (1997). The Dictionary of Portrait Painters in Britain up to 1920. Antique Collectors' Club. ISBN 1-85149-173-2
- ^ Hilary Margo Schor (1999). Dickens and the Daughter of the House. Cambridge: Cambridge University Press
- ^ John Pateman, (2014) Fort Pitt to Fort William, ISBN 978-1304954725
- ^ a b “Lucinda Hawksley | Dickens's Artistic Daughter, Katey”. 2020年3月10日閲覧。
- ^ “Kate Dickens Perugini”. Spartacus Educational. 2020年3月10日閲覧。
- ^ Lucinda Hawksley, Katey: The Life and Loves of Dickens's Artist Daughter, New York, Doubleday, 2006.
- ^ Christopher Wood, Victorian Painting, Boston, Little, Brown & Co., 1999; pp. 227, 274-5.