グレーフェンベルク
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | オーバーフランケン行政管区 |
郡: | フォルヒハイム郡 |
市町村連合体: | グレーフェンベルク行政共同体 |
緯度経度: | 北緯49度38分43秒 東経11度15分04秒 / 北緯49.64528度 東経11.25111度座標: 北緯49度38分43秒 東経11度15分04秒 / 北緯49.64528度 東経11.25111度 |
標高: | 海抜 433 m |
面積: | 37.83 km2 |
人口: |
4,248人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 112 人/km2 |
郵便番号: | 91322 |
市外局番: | 09192 |
ナンバープレート: | FO, EBS, PEG |
自治体コード: |
09 4 74 132 |
行政庁舎の住所: | Kirchplatz 8 91322 Gräfenberg |
ウェブサイト: | www.graefenberg.de |
首長: | ラルフ・クンツマン (Ralf Kunzmann) |
郡内の位置 | |
地図 | |
グレーフェンベルク (独: Gräfenberg, ドイツ語発音: [ˈgrɛːf̩nberk][2]) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州フォルヒハイム郡(オーバーフランケン行政管区)に属する郡所属市で、グレーフェンベルク行政共同体の本部所在地。
地理
[編集]位置
[編集]グレーフェンベルクは、驚くべき標高差を持つ都市で、フレンキシェ・シュヴァイツの南表門となっている。ニュルンベルクの北、重要な塩の交易路であった連邦道B2号沿いに位置する。町の東と北西には大きな採石場があり、市境となっている。
カルカハ川は、歴史的旧市街の西側で急に深い谷を駆け下りる。幅広くなった河川敷にはシュレーバーゲルテン(集団家庭菜園)が設けられている。
市の構成
[編集]本市は、公式には15の地区 (Ort) からなる[3]。このうち孤立農場などを除く集落を以下に列記する。
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歴史
[編集]グレーフェンベルクは、1172年に初めて文献上で言及される。1333年からニュルンベルクの貴族一門であるハラー家が領主となった。都市権は1371年に授けられた。1567年6月4日、大火が町を襲い、市壁内のあらゆる家屋を焼き尽くした。16世紀になると帝国都市ニュルンベルクがグレーフェンベルクを獲得した。1778年6月8日、激しい雷雨の後、洪水が押し寄せ、多くの市民が亡くなった。帝国代表者会議主要決議の決議により、1803年にこの町はバイエルン領となった。
宗教
[編集]グレーフェンベルクには、カトリックの聖ミヒャエル教会と、プロテスタント教会がそれぞれ存在する。
行政
[編集]グレーフェンベルクは、ヒルトポルトシュタインおよびヴァイセノーエとともに行政共同体を形成している。本市の市長はラルフ・クンツマンである。
友好都市
[編集]文化と見所
[編集]建造物
[編集]付近の山の麓や頂上から眺める町並みの景観は魅力的である。
グレーフェンベルクの旧市庁舎は、1689年にコンラート・クラマーにより建設され、1871年からはグレーフェンベルクの市庁舎になった。1989年に、この建物は完全に修繕・修復がなされた。
天然記念物
[編集]- カスベルガー・リンデ: カスベルク地区のフユボダイジュの木。ドイツで最も古い木の一つ。
年中行事
[編集]宗教行事
[編集]- 白衣の主日(復活祭後、最初の日曜日)は、グレーフェンベルクの堅信礼の日である。
- 8月の第1日曜日には、グレーフェンベルクの教会祭が行われる。
- 9月の第3日曜日には、ヴァルカースブルンの教会とグレーフェンベルクの聖ミヒャエル教会の教会祭が開催される。
- アドベント(クリスマス前の4週間)の第3日曜日は、教会広場で伝統的なクリスマス市が開催される。その傍らでニュルンベルクのクリストキント(Christkind: ドイツで、プレゼントを運ぶとされている子供の天使)のプロローグが開催される。
その他の行事
[編集]青年センターAREA51では若者の祭典が開催される。
極右のNPDは、1999年から毎年、国民追悼日にグレーフェンベルクの戦役記念碑まで行進を行っている。これに対して、グレーフェンベルク市民や周辺地域の民主主義者たちは、反対集会を開いて、この行進に抗議している。
経済と社会資本
[編集]交通
[編集]グレーフェンベルクは、ニュルンベルク近郊鉄道RバーンのR21グレーフェンベルク線の終着駅である。この鉄道は週末になると、大勢の行楽客やハイキング客、あるいは田舎のビール醸造所やビアガーデンを訪れる人をグレーフェンベルクに運んでくる(ニュルンベルク北東駅から約21分)。この町はまた、連邦道B2号のニュルンベルクとペグニッツの間に位置している。
人物
[編集]湾岸戦争時の米軍司令官として有名なノーマン・シュワルツコフの先祖は、この地の出身である。
引用
[編集]- ^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
- ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 372. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ Bayerische Landesbibliothek Online