グレン・A・ラーソン
グレン・A・ラーソン Glen A. Larson | |
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本名 | Glen Albert Larson |
生年月日 | 1937年1月3日 |
没年月日 | 2014年11月14日(77歳没) |
出生地 | カリフォルニア州ロングビーチ |
死没地 | カリフォルニア州サンタモニカ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 |
テレビプロデューサー 脚本家 |
著名な家族 | エリック・ラーソン |
事務所 | グレン・ラーソン・プロダクションズ |
主な作品 | |
ナイトライダー |
グレン・アルバート・ラーソン(Glen Albert Larson 1937年1月3日 - 2014年11月14日 )は、アメリカ合衆国のテレビプロデューサー、脚本家。テレビシリーズ『ナイトライダー』、『俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ』、『Dr.刑事クインシー』などで知られる。
経歴
[編集]カリフォルニア州ロングビーチで生まれる。家族に一時期俳優で活躍していた息子のエリック・ラーソンがいる。
1950年代に大学在学中に「ザ・フォー・プレップス」(The Four Preps)のシンギング・グループの一員となって《26マイル(サンタ・カタリナ)》などの三種のミリオンセラー・レコードを作詞した。1960年代からはテレビ業界に入り,ユニバーサルテレビジョンでライターやプロデューサーとして着々と実績を積んでいった。最初に高評価だったのは1968年に放送された「スパイのライセンス」でそれからはユニバーサルで数々の作品を手がけた。ミュージシャン出身ということでテーマ音楽も多く作曲している。当時の映画でのヒット作を自分なりにアレンジしてTVシリーズにする方法を使った作品(「トランザム7000」を題材にして「トラック野郎!B・J」を「スター・ウォーズ」を題材に「宇宙空母ギャラクティカ」を「トロン」を題材に日本未放送作品「オートマン」等)のパイロット版シナリオを書き上げ誕生させた。 そして、1981年4月1日に20世紀フォックステレビジョンに移籍し、記念すべき第1作目となったのがリー・メジャース主演「俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ」であった。翌年1982年にはユニバーサル在籍中に交わした契約でTVシリーズパイロット版の脚本を1作品書くと言う約束が残されており、ユニバーサルからの要望で「トラック野郎!B・J」シーズン2第3話『最強警察!スーパークルーザー[原題:Cain's Cruiser]』〈1980年3月30日に日本テレビで放映〉(ナイトライダー・コンプリートブルーレイBOXの封入特典のブックレット解説より)のエピソードに登場したハイテクパトロールカーみたいな自動車が活躍する作品の脚本を書いて欲しい。」との要望で誕生した作品が彼のヒット作品となる「ナイトライダー」だ。それ以後、20世紀フォックスでライターとして続けたが「俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ」以後、ヒット作に恵まれず、高評価が得られる事なく短命で打ち切られた番組が続いた。
2014年11月14日、カリフォルニア州サンタモニカの病院で食道ガンの合併症が原因により死去[1] [2]。77歳没。
主な作品
[編集]受賞とノミネート
[編集]エミー賞など
[編集]賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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エミー賞 | 1978 | プライムタイム・エミー賞 作品賞 (ドラマ部門) | 『Dr.刑事クインシー』 | 受賞 |
グラミー賞 | 1978 | グラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門 | 『宇宙空母ギャラクティカ』〈オリジナルスコアのベスト·アルバム〉 | ノミネート |
エドガー賞 | 1973 | TVエピソード部門 | 『警部マクロード』シーズン3・第1話「ニューメキシコの顔」[The New Mexican Connection] | 受賞 |
エドガー賞 | 1981 | TVエピソード部門 | 『私立探偵マグナム』シーズン1・第3話「秘宝の壺カンフー旋風」[China Doll] | 受賞 |
ハリウッド殿堂
[編集]ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのテレビ部門に、星形のプレートが埋め込まれている。
脚註
[編集]- ^ グレン・ラーソンが死去、「宇宙空母ギャラクティカ」などで有名なTVプロデューサー。 Business Newsline 2014年11月17日閲覧
- ^ 「宇宙空母ギャラクティカ」「ナイトライダー」の生みの親グレン・A・ラーソンが亡くなる 海外ドラマNAVI 2014年11月17日閲覧