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グラハム・アーノルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グラハム・アーノルド
CCマリナーズFC監督時代(2012年)
名前
ラテン文字 Graham ARNOLD
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1963-08-03) 1963年8月3日(61歳)[1]
出身地 シドニー
身長 179cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1981 オーストラリアの旗 カンタベリー・マリックビル英語版
1982-1990 オーストラリアの旗 シドニー・クロアチア英語版 178 (88)
1990-1992 オランダの旗 ローダ 61 (22)
1992-1994 ベルギーの旗 RFCリエージュ英語版 60 (23)
1994-1995 ベルギーの旗 シャルルロワ 16 (1)
1995-1997 オランダの旗 NAC 63 (35)
1997-1998 日本の旗 サンフレッチェ広島 28 (7)
1998-2001 オーストラリアの旗 ノーザン・スピリット英語版 47 (5)
通算 453 (161)
代表歴
1985-1997 オーストラリアの旗 オーストラリア 56 (19)
監督歴
1989-1990 オーストラリアの旗 シドニー・ユナイテッド英語版
1998-2000 オーストラリアの旗 ノーザン・スピリット英語版
2006-2007 オーストラリアの旗 オーストラリア代表
2007-2008  オーストラリア U-23
2010-2013 オーストラリアの旗 セントラルコースト・マリナーズFC
2014 日本の旗 ベガルタ仙台
2014-2018 オーストラリアの旗 シドニーFC
2018-2021  オーストラリア U-23
2018-2024 オーストラリアの旗 オーストラリア代表
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

グラハム・ジェームズ・アーノルド: Graham James Arnold1963年8月3日 - )は、オーストラリアシドニー出身[2] の元サッカー選手FW)、サッカー指導者。オーストラリアサッカー協会殿堂。イギリス英語発音では「グイ(ァ)ム・ジェイムズ・アーノルトゥ([ˈɡreɪəm dʒeɪmz ˈɑːnəld])」、アメリカ英語発音では「グム・ジェイムズ・アーナル(トゥ)([græm dʒeɪmz ˈɑrnəld])」。またはグレアムとも。本表題の名前は、検証可能性の観点からJリーグ登録時の名前[1] を用いている。

来歴

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現役時代

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オーストラリア代表FW。国際Aマッチ56試合19得点、非公式試合やBマッチなどを含めると85試合33得点の成績を残し、オーストラリアサッカー史上において著名なストライカーの一人[2]

1980年、ニューサウスウェールズ・プレミアリーグのカンタベリー・マリックビルでキャリアをスタート。1982年よりオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のシドニー・クロアチア(現:シドニー・ユナイテッドFC英語版)へ移籍し、1986年にNSL得点王、リーグ最優秀選手賞を受賞。

1990年から1992年および1995年から1997年はオランダのエールディヴィジ、1992年から1995年はベルギーのジュピラーリーグでプレー。エールディヴィジでは5年余りで58得点を決めている。

1985年にオーストラリア代表として初出場。最後の試合は1997年に行われた1998 FIFAワールドカップ・予選AFC-OFCプレーオフイラン代表戦の2戦目だった。この試合でオーストラリアは2点をリードしながら同点に追いつかれたため、W杯出場権獲得は成らなかった(メルボルンの悲劇)。

1997年からオーストラリア代表元監督のエディ・トムソンが監督を務めていたJリーグサンフレッチェ広島F.Cに入団。選手として入団したが、若手の久保竜彦にFWとしての経験を伝える教育係でもあった[3]。1998年6月に契約満了する[4]

退団後はNSL・ノーザン・スピリットFC英語版でプレーイングマネージャー[5] としてプレーし、2001年に引退[1]

指導者時代

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2000年、オーストラリア代表のアシスタントコーチに就任し、監督はフランク・ファリーナヒディンクと代わったが、アーノルドは常にアシスタントコーチとして代表に付き添った[2][5]

2006年7月、オーストラリア代表の監督に就任。アジアカップ2007はグループリーグAを2位の成績で決勝トーナメントへ進出。なお、決勝トーナメントは1回戦で日本代表にPK戦で敗退。

その後、U-23代表監督に就任し、北京オリンピック出場に導いた[5]

2010 FIFAワールドカップ終了後、ローリー・マッキーナ英語版の後を受け2010年7月にセントラルコースト・マリナーズFC監督に就任[2][5]。2011/12レギュラーシーズン、チームを優勝に導きリーグ最優秀監督賞を受賞。2012/13シーズンはグランドファイナルに進出し優勝を飾った[1][2]

2014年、Jリーグ・ベガルタ仙台の監督に就任[1]。オーストラリア国外のクラブチームを指揮するのはこれが初めてとなったが、リーグ戦6試合で2分け4敗、ナビスコカップを含めた公式戦8試合で3分け5敗と苦戦。結局1勝も挙げられないまま、4月9日に退任。クラブ側との協議の末、「解任」ではなく「双方合意の上での退任」という形が取られたため違約金は発生しなかった[6]

2014年5月、オーストラリアに戻りシドニーFC監督に就任[7]

2018年3月8日、W杯ロシア大会終了後にオーストラリア代表監督に就任することが同国サッカー連盟から発表された[8]。11年ぶりの代表監督復帰となる。

この間、2021年までU-23オーストラリア代表も兼任して東京オリンピックに3大会ぶり出場に導き、W杯カタール大会にも連続で出場させた。

2024年9月5日から始まった2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選では1勝もできず、同年9月20日オーストラリア代表監督を退任した[9]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1980 カンタベリー・
マリックビル
1981
1982 シドニー・
クロアチア
NSL
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1989-90
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1990-91 ローダ エールディヴィジ
1991-92
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
1992-93 RFCリエージュ ジュピラーリーグ
1993-94
1993-94 シャルルロワ
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1994-95 ローダ エールディヴィジ
1995-96
1996-97
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 広島 9 J 18 6 5 4 0 0 23 10
1998 10 1 0 0 - 10 1
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1998-99 ノーザン・
スピリット
NSL
1999-00
2000-01
通算 豪州 NSL
オランダ エールディヴィジ
ベルギー ジュピラーリーグ
日本 J 28 7 5 4 0 0 33 11
総通算

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 56試合 19得点(1985年-1997年)[10]


オーストラリア代表国際Aマッチ
出場得点
1985 2 1
1986 6 4
1987 6 3
1988 18 4
1989 4 2
1990 0 0
1991 2 0
1992 0 0
1993 6 1
1994 0 0
1995 2 1
1996 3 0
1997 7 3
通算 56 19

監督成績

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2024年9月20日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
オーストラリア代表 2006年7月6日 2007年12月6日 15 6 4 5 040.00
セントラルコースト 2010年2月10日 2013年11月14日 114 55 30 29 048.25
ベガルタ仙台 2014年2月1日 2014年4月9日 8 0 3 5 000.00
シドニー 2014年5月8日 2018年7月14日 142 81 34 27 057.04
U-23オーストラリア代表 2018年7月14日 2021年7月28日 9 5 3 1 055.56
オーストラリア代表 2018年7月14日 2024年9月20日 57 37 7 13 064.91
合計 345 184 81 80 053.33

タイトル

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選手時代

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個人

監督

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セントラルコースト・マリナーズFC
  • Aリーグレギュラーシーズン:1回(2011-12)
  • Aリーグファイナルシリーズ:1回(2013)
シドニーFC
  • Aリーグレギュラーシーズン:2回(2016-17、2017-18)
  • Aリーグファイナルシリーズ:1回(2017)
  • FFAカップ:1回(2017)
個人
  • Aリーグ最優秀監督:3回(2011-12、2016-17、2017-18)
  • Aリーグオールスターチーム監督部門:1回(2011-12)
  • PFAフットボール選手オブザイヤー賞:3回(2011-12、2016-17、2017-18)

脚注

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  1. ^ a b c d e 2014シーズン新監督にグラハム・アーノルド氏 就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2013年11月14日http://www.jsgoal.jp/official/00164000/00164349.html2013年12月29日閲覧 
  2. ^ a b c d e Graham Arnold”. オーストラリアサッカー連盟. 2012年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  3. ^ 中野和也『サンフレッチェ情熱史』ソル・メディア、2013年12月、113頁。ISBN 4905349141 
  4. ^ 松永の同点弾フイ”. 中国新聞 (1998年4月11日). 2007年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  5. ^ a b c d Graham Arnold deserves to be given a chance”. The Roar (2010年2月19日). 2013年5月25日閲覧。
  6. ^ グラハム・アーノルド監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト、2014年4月9日http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/04/post-1476.html2014年4月9日閲覧 
  7. ^ シドニーFC新監督に仙台前監督のグラハム・アーノルド氏が就任”. ゲキサカ (2014年5月8日). 2014年5月9日閲覧。
  8. ^ 元仙台のアーノルド氏、豪州代表の監督就任が決定。ロシアW杯後からの指揮に”. フットボールチャンネル (2018年3月8日). 2018年3月8日閲覧。
  9. ^ 10月に日本代表戦を控えるオーストラリア代表、アーノルド監督が電撃辞任…最終予選で2戦未勝利”. サッカーキング (2024年9月20日). 2024年10月10日閲覧。
  10. ^ グラハム・アーノルド - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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