グリゴリー・クレイン
表示
グリゴリー・アブラモヴィチ・ クレイン | |
---|---|
生誕 |
1879年3月18日 ロシア帝国 ニジニー・ノヴゴロド |
死没 |
1957年1月6日(77歳没) ソビエト連邦 コマロヴォ |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
グリゴリー・アブラモヴィチ・クレイン(ロシア語: Григорий Абрамович Крейн:ラテン文字転写:Grigori Abramowitsch Krein、1879年3月18日 ニジニー・ノヴゴロド – 1957年1月6日 コマロヴォ)はロシア帝国末期から活躍したソビエト連邦の作曲家。ユダヤ系である。
経歴
[編集]1879年、ニジニー・ノヴゴロドで生まれた。音楽一家で、父から最初の音楽の手ほどきを受けた。モスクワに出てヤン・フジマリーとパウル・ユオン、レインゴリト・グリエールに師事し、1905年から1908年までライプツィヒでマックス・レーガーに師事した。
1913年より、弟アレクサンドル・クレインと同じく、ユダヤ民族音楽協会モスクワ支部に加入した。1926年から1934年まで、息子ユリアンとともに、ウィーンやパリ、ベルリンを転々とした後、モスクワに戻り、1941年から1943年までは大祖国戦争の戦火を避けてタシケントに疎開した。
家族・親族
[編集]- 父:アブラム・クレインは、1870年にリトアニアからロシアにやってきた有名なフィドル弾き。
- 兄:ダヴィド・クレインは高名なヴァイオリニスト。
- 弟:アレクサンドル・クレインも作曲家。
- 息子:ユリアン・クレインも作曲家。
甥:エフゲン・クレインはヴァイオリニスト、作曲家。ダヴィド・クレインの息子。北澤栄と結婚して日本に住み、日本における西洋音楽普及と後進の育成に貢献した。
作曲作品一覧
[編集]- 交響曲
- ヴァイオリン協奏曲
- ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的幻想曲
- 交響詩《サウルとダヴィデ》
- 3つの交響的エピソード
- ヘブライ狂詩曲
- 弦楽四重奏曲
- 4つの無言歌