グランドバラエティーショー
グランドバラエティーショー | |
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よみうりランド (当時は、完成したばかりの「カラー公開スタジオ『NTVスタジオ』(1,000人収容)」(生田スタジオ)も含んでいた。) | |
ジャンル | 音楽バラエティ番組 |
出演者 | #出演者を参照 |
製作 | |
プロデューサー | 太田(名字のみ明記)[1] |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
映像形式 | カラー放送[2][3][4] |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
グランドバラエティーショー(読売ランド「NTVスタジオ」完成記念 80分特番)[5] | |
放送期間 | 1964年8月28日[2][3] |
放送時間 | 15:25 - 16:45[2][3] |
放送分 | 80 [2][3]分 |
グランドバラエティーショー(レギュラー番組) | |
放送期間 | 1964年9月1日[3][4] - 1966年6月30日[6] |
放送時間 | 火-金[7] 14時台開始の映画番組[注 1]の終了後(大体、15:30~16:00が多い)に開始。[1][8][9] |
放送分 | 30 [3][7]分 |
回数 | 289[3] |
特記事項: よみうりランド内「カラー公開スタジオ『NTVスタジオ』」(当時)での公開録画放送。 |
『グランドバラエティーショー』(グランドバラエティーショー)は、1964年8月28日[2][3]から1966年6月30日[6]まで、日本テレビ系列局でお昼の時間帯に放送されていた、日本テレビ製作の音楽バラエティ番組である。
概要
[編集]以下の文は、読売新聞 1964年8月28日付朝刊11ページ 及び同年9月1日付朝刊11ページ(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)、更に朝日新聞1964年9月3日付東京版朝刊7ページ(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)の各テレビ欄の当番組紹介記事に、この番組の紹介や主旨、レギュラー出演者等が記載されていたので、それらを中心に記載したものである。
1964年7月に、日本テレビが多摩丘陵・よみうりランド内に作った「日本テレビスタジオ」(生田スタジオ)が完成[10]。その第1スタジオが、1,000人収容の「カラー公開スタジオ『NTVスタジオ』」であり、そこからの公開録画放送で、歌・コント・踊り・曲芸を織り交ぜたバラエティ番組である。[7]
初回の8月28日は、その『NTVスタジオ』完成記念の特別番組の1つとして、80分の単発で放送され[5]、その次の翌月9月1日からは、平日の火~金曜日のお昼の30分のレギュラーとして[7]、日本テレビの平日14時台の映画番組[注 1]の時間の終了後に放送していた。その為、番組の開始時間は不定期である(大体、15:30~16:00の間に開始していた)。[1][8][9]
渡辺弘とスターダスターズの演奏に、当時の往年のジャズ・メンの2世達4人で編成した「フォー・スターレット」、そして、この番組の為に編成された16人の少女ダンシング・チーム「スター・ダスト・ガールズ」がレギュラー出演し、毎回ゲストを呼んでお送りする公開番組である。レギュラー時のゲスト構成は、歌謡界のトップスター1人、新人歌手1人、曲芸1チーム、小学校のPTAコーラス1団体となっている。[7]
ちなみに、レギュラー放送についての収録は、毎週土・日に、各日2日分で、1週間の4回分の収録が行われていた。[7]
放送日時及び時間
[編集]- NTVスタジオ完成記念特番(80分)
- レギュラー放送(30分)
出演者
[編集]レギュラー
[編集]ゲスト
[編集]ほか
ほか
ネット局
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、460~1頁。NDLJP:11954641/246。
- ^ a b c d e f g h 1964年8月28日 読売新聞朝刊 P.11 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)、同日朝日新聞 東京版朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、442頁。NDLJP:12274683/495。
- ^ a b c d e 1964年9月1日 読売新聞朝刊 P.11 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)、同日朝日新聞 東京版朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b c 読売新聞 1964年8月28日朝刊 P.11 テレビ欄記事「読売ランド スタジオ完成を記念 カラーで3時間 バラエティや雛鶴三番叟」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
- ^ a b c d 1966年6月30日 読売新聞朝刊 P.10 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)、同日朝日新聞 東京版朝刊 P.9 テレビ欄 及び大阪版朝刊 P.9 テレビ欄(共に、朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b c d e f g h i 読売新聞 1964年9月1日朝刊 P.11 テレビ欄 番組紹介記事(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
- ^ a b c 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、464~5頁。NDLJP:11954641/248。
- ^ a b c d 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、466~7頁。NDLJP:11954641/249。
- ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 42ページ (渋沢社史データベース)(2023年12月19日閲覧)
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、462~3頁。NDLJP:11954641/247。
- ^ a b c d 朝日新聞 1964年9月3日 東京版朝刊 P.7 テレビ欄 番組紹介記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b 朝日新聞 1964年10月1日 東京版朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b 朝日新聞 1964年10月1日 東京版朝刊 P.7 テレビ欄 及び同日 大阪版朝刊 P.7 テレビ欄(共に、朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 信濃毎日新聞 1964年10月1日 朝刊 テレビ欄(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)