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グナエウス・コルネリウス・ブラシオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グナエウス・コルネリウス・ブラシオ
Cn. Cornelius P. f. Cn. n. Blasio
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
一族 ブラシオ
氏族 コルネリウス氏族
官職 執政官 I(紀元前270年)
監察官(紀元前265年)
執政官 II(紀元前257年)
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グナエウス・コルネリウス・ブラシオラテン語: Gnaeus Cornelius Blasio、生没年不明)は紀元前3世紀中頃の共和政ローマの政治家、軍人。執政官(コンスル)に二度選出され、第一次ポエニ戦争を戦った。

出自

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パトリキ(貴族である)コルネリウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はプブリウス、祖父はグナエウスである[1]ブラシオ家で執政官になったのはグナエウス一人で、氏族の他の人物との関係は不明である。

経歴

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紀元前270年、ブラシオは執政官に選出された。同僚のガイウス・ゲヌキウス・クレプシナは二度目の執政官選出であった。この年、両執政官はレギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)での戦いに勝利し、ブラシオだけが凱旋式を挙行する栄誉を得ている。紀元前265年には、ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌスと共にケンソル(監察官)に選出されている。紀元前257年には二度目の執政官に選出されるが、同僚はガイウス・アティリウス・レグルスであった[2]

脚注

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  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ T. Robert S. Broughton : The Magistrates of the Roman Republic . Vol. 1: 509 BC-100 BC . Cleveland, Ohio: Case Western Reserve University Press, 1951. Unchanged Reprint 1968. (Philological Monographs, Eds., By the American Philological Association, Vol. 15, Part 1), p. 198, p. 202,

参考資料

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  • Friedrich Münzer : Cornelius 73. In: Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft (RE). Band IV,1, Stuttgart 1900, Sp. 1271 f.

関連項目

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公職
先代
カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス
ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ
ローマ執政官 I
紀元前270年
同僚
ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ II
次代
クィントゥス・オグルニウス・ガッルス
ガイウス・ファビウス・ピクトル
先代
アウルス・アティリウス・カラティヌス
ガイウス・スルピキウス・パテルクルス
ローマ執政官 II
紀元前257年
同僚
ガイウス・アティリウス・レグルス・セッラヌス
次代
ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス
クィントゥス・カエディキウス
公職
先代
紀元前269年 XXXIV
クィントゥス・マルキウス・ピリップス
ルキウス・アエミリウス・バルブラ
ローマケンソル
紀元前265年 XXXV
同僚
ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌス II
次代
紀元前258年 XXXVI
ガイウス・ドゥイリウス
ルキウス・コルネリウス・スキピオ