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ガイウス・スルピキウス・パテルクルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガイウス・スルピキウス・パテルクルス
C. Sulpicius Q.f. Q.n. Paterculus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 スルピキウス氏族
官職 執政官(紀元前258年)
指揮した戦争 スルキ沖の海戦
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ガイウス・スルピキウス・パテルクルス(Gaius Sulpicius Paterculus)は共和政ローマパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前258年執政官(コンスル)を務めた。

経歴

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カピトリヌスのファスティによれば、父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はクィントゥスであった[1]

紀元前258年に、アウルス・アティリウス・カラティヌスと共に執政官に就任したが、第一次ポエニ戦争の最中であった。歴史家ポリュビオス紀元前204年? - 紀元前125年?)によると、パテルクルスはカラティヌスと共にシケリア(シチリア)でカルタゴ軍と戦った[2]。しかしローマの伝統的な年代記では、パテルクスはサルディニアに派遣され、多くのカルタゴ拠点を攻略し、さらにはカルタゴ本国があるアフリカへの侵攻も計画したが、これは逆風のために実現しなかったとされている。パテルクルスはまたローマ海軍を率いてスルキ沖の海戦ハンニバル・ギスコに勝利、ローマに帰還した後に凱旋式を実施している[3]

参考資料

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  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ ポリュビオス歴史』、1, 24, 9.
  3. ^ ヨハネス・ゾナラス、 8, 12, 4f.; Inscr. 13, 1, 77

参考資料

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  • Friedrich Münzer : Sulpicius 81). In: Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft (RE). Volume IV A, 1, Stuttgart 1931, Sp. 816 f.

関連項目

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公職
先代
ルキウス・コルネリウス・スキピオ
ガイウス・アクィッリウス・フロルス
執政官
同僚:アウルス・アティリウス・カラティヌス
紀元前258年
次代
ガイウス・アティリウス・レグルス・セッラヌス
グナエウス・コルネリウス・ブラシオ II