グジュラーンワーラー
グジュラーンワーラー گجرانوالہ | |
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位置 | |
座標 : 北緯32度9分29秒 東経74度10分56秒 / 北緯32.15806度 東経74.18222度 | |
行政 | |
国 | パキスタン |
州 | パンジャーブ州 |
県 | グジュラーンワーラー県 |
市 | グジュラーンワーラー |
City Nazim | Fayyaz Ahmad Chattha |
地理 | |
面積 | |
市域 | 3,198 km2 (1,235 mi2) |
標高 | 213 m (700 ft) |
人口 | |
人口 | (2015年現在) |
市域 | 2,723,009人 |
その他 | |
等時帯 | パキスタン標準時 (UTC+5) |
市外局番 | 055 |
グジュラーンワーラー(ウルドゥー語: گجرانوالہ, 英語:Gujranwala)は、パキスタンのパンジャーブ州の都市である。グジュランワラとも。2015年の人口は約272万人である。海抜226mである。
歴史
[編集]「帝国インド地名辞典」によると、グルジャル族が設置した。後に定住したイランのジャート族がカンプールと改名したが、古い名前が残った。 [1] [2]
7世紀初頭、ラージプート王国がパキスタン東部とインド北部を支配した。
630年、唐の玄奘三蔵がグジュラーンワーラー近郊のツェキアを訪れた。
997年、ガズナ朝のマフムード王が父のサブク・ティギーン王から王位を受け継いだ。
1005年、カブールのシャヒ王国を征服し、続いてパンジャーブ地方西部を征服した。パンジャーブ地方東部(ムルターン~ラーワルピンディー、グジュラーンワーラー)は1193年までラージプート王国が支配した。
ムガル帝国の衰退後、シク王国がグジュラーンワーラーを支配した。
1707年、ムガル帝国のアウラングゼーブ王が亡くなった。シク王国はパンジャーブ地方を獲得した。
1780年11月13日、シク王国の君主であるランジート・シングがこの地で誕生した。彼の父と祖父はグジュラーンワーラーを重要視した。 [1]
1802年、ランジート・シングは王国の首都をグジュラーンワーラーからラホールへと遷都した。
1867年、自治体に昇格し、北西鉄道でカルカッタやカラチと繋がった。 [1] [1]
1901年の人口は2万9224人だった。
交通
[編集]鉄道、高速道路、河川交通の中心地であり、地方産品輸出のドライポート(陸上港)として機能している。
最寄の空港
- シアールコート国際空港(Sialkot International Airport)
- ラホール国際空港(Allama Iqbal International Airport)
人口
[編集]1998年の人口は1,132,509人。
生活環境
[編集]大気汚染
[編集]民間機関「IQAir AirVisual」の2019年版報告書では、グジュラーンワーラーは大気汚染のひどさでパキスタンのトップ、世界でもベスト10に入る都市となった[3]。
衛生環境
[編集]総世帯の35.5%には衛生的な設備がない。自宅に水洗式トイレのある世帯は全体の42.8%にとどまり、乳児死亡率は1000人あたり67人である[4]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d Gujrānwāla Town – Imperial Gazetteer of India, v. 12, p. 363.
- ^ Ramesh Chandra Majumdar; Bhāratīya Itihāsa Samiti (1954). The History and Culture of the Indian People: The classical age. G. Allen & Unwin. p. 64 . "."
- ^ “大気汚染の都市別ランキング、上位30位中インドが21都市”. CNN (2020年2月26日). 2020年2月26日閲覧。
- ^ “パキスタン国 グジュランワラ市廃棄物管理 マスタープラン策定プロジェクト(p261)” (PDF). JICA. 2020年2月26日閲覧。