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クロフォード・グリーンウォルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クロフォード・ハロック・グリーンウォルト(Crawford Hallock Greenewalt、1902年8月16日 - 1993年9月28日)は、アメリカ合衆国化学技術者で、デュポン社において、1948年から1962年にかけて社長、1962年から1967年にかけて会長を務めた。

経歴

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グリーンウォルトは、マサチューセッツ州カミントン英語版に、医師である父フランク・リンジー・グリーンウォルトと、コンサート・ピアニストであった母メアリー・エリザベス(旧姓ハロック)の間の息子として生まれた[1]。その後一家はフィラデルフィアに移り、当地で育ったクロフォードは、ウィリアム・ペン・チャーター・スクール英語版に学び、マサチューセッツ工科大学 (MIT) に進んだ[2]

1922年に MIT から化学技術分野の理学士 (Bachelor of Science degree in chemical engineering) を得て卒業したが[3]、在学中はフラタニティ組織 Theta Chi のメンバーであった[4]。ちなみに、後年の1951年には、MIT の外郭団体である MIT Corporation の終身会員となり、1977年には名誉会員となっている[3]

1922年にデュポン社に化学技術者として入社したグリーンウォルトは、フィラデルフィアの工場やデラウェア州ウィルミントンの研究所に勤務した[2]

グリーンウォルトは、1926年に、デュポン社の第7代社長イレネー・デュポン英語版の娘マーガレッタ (Margaretta)、旧姓デュポン (née Du Pont) と結婚し[2]、やがて、2人の息子たちクロフォード・"グリーニー"・グリーンウォルト・ジュニアCrawford "Greenie" Greenewalt Jr.1937年-2012年)とデヴィッド・グリーンウォルト (David Greenewalt) と、娘ナンシー・L・フレデリック (Nancy L. Frederick) をもうけた。息子のクロフォードは、長じてカリフォルニア大学バークレー校の古典考古学の教授となり、サルディスの考古学調査隊のリーダーのひとりになった。デヴィッドは2003年に死去した。

グリーンウォルトはデュポン社において、ナイロンの開発や、原子力計画において中心的な役割を担った[2][3]

1942年に取締役となり、1946年には副社長、経営委員会副議長へ昇格、1948年1月19日に45歳で第10代社長となって、経営委員会議長を兼ねた[2]。社長在任中、グリーンウォルトは事業の国際化と新製品の市場への投入を積極的に進め[5]、デュポンの売り上げは2倍以上に拡大し、従業員数も株主数も増加して、事業の多角化や施設の拡充が進められた[2]1962年8月20日に社長を退いた後は、取締役会会長、財務委員会議長となり、前者は1967年まで、後者は1973年までその任にあった[2]

広範囲に及んだグリーンウォルトの関心領域には、友人のハロルド・E・"ドク"・エジャートンを介して関心を持つようになった鳥類学高速度撮影にも及んでいた。グリーンウォルトは1960年に、ハチドリを高速度撮影した写真70点を収めた書籍を出版した。また、1968年には『Bird Song: Acoustics and Physiology』(「鳥の歌:音響学生理学」の意)と題した書籍を出版した[6]

彼は、脳卒中に倒れた翌日、デラウェア州ウィルミントンで死去した[3]

顕彰

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1959年にアメリカ化学者協会ゴールドメダル1962年にアメリカエンジニアリング協会(United Engineering Societies)よりジョン・フリッツ・メダル1991年には、デュポン社が選定するラヴォアジエ・メダル (Lavoisier Medal) を授与された。アメリカ哲学会の会長も務め、1990年に同協会からベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞した[3]

アトミック・ヘリテージ財団英語版が制作した映画『The Uncommon Man: Crawford H. Greenewalt』は、グリーンウォルトを主題としている[7]

脚注

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  1. ^ 吉次啓二 2017, p. 1.
  2. ^ a b c d e f g 吉次啓二 2017, p. 2.
  3. ^ a b c d e Staff report (September 29, 1993) Crawford Greenewalt of DuPont Dies. MIT Tech Talk (Volume 38, Number 8)
  4. ^ The Rattle of Theta Chi, Summer 1954, p. 8.
  5. ^ エイドリアン・キネーン. “デュポン200年の軌跡”. デュポン. 2019年1月27日閲覧。
  6. ^ Stein, Robert C.. “Bird Song. Acoustics and Physiology. Crawford H. Greenewalt. Smithsonian Institution Press, Washington, D.C., 1968 (distributed by Random House, New York). viii + 196 pp., illus., + 2 records. $12.50. Smithsonian Publication 4750”. Science 164 (3880): 694-695. http://science.sciencemag.org/content/164/3880/694 2019年1月26日閲覧。. 
  7. ^ The Uncommon Man: Crawford H. Greenewalt (DVD)”. Atomic Heritage Foundation. 2019年1月26日閲覧。

参考文献

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  • 吉次啓二「デュポン社のクロフォード・H・グリーンウォルト社長の時代 ― 1950年代のトップ・マネジメント組織を中心に―」『日本経大論集』第46巻第2号、日本経済大学アジアパシフィック経済研究所、2017年3月、1-17頁、CRID 1050282813394846592ISSN 2185-5676NAID 120006335299 

外部リンク

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