クリア民会
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クリア民会(ラテン語: Comitia Curiata)とは、古代ローマにおける民会の一つ。クリア会などとも訳出される。
最も古い民会と考えられ、男たちの集まり(co-viria)が語源と思われる「クリア」単位で決議した[1]。王政ローマ時代、新しい王に対し、クリア民会が承認する形式があったと考えられており、クリア民会の決議(Lex curiata de imperio)によって王のインペリウム(指揮権)が承認され、新しい王への忠誠を誓ったものと思われる[2]。
共和政後期にはその権限はかなり小さくなっていたが、高位政務官へのインペリウム付与をになっていたと考えられ、30あるクリアを、それぞれ一人のリクトルが代表して票決を行っていた[3]。このように非常に形式的なものとなってはいたが、アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前54年の執政官)がクリア民会での決議が得られず、ねつ造しようとした事件も起こっている[3]。
クリア民会はインペリウムを付与していたのではなく、選出された政務官に対し、形式的な完全性を付与していたのではないかとする説もある[4]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 原田俊彦『ローマ共和政初期立法史論』敬文堂、2002年。ISBN 4767001072。
- ヘンリック・ムーリツェン、髙橋亮介・鷲田睦朗(訳)「(翻訳・解題)「民衆/民会の権力:ローマ政体への新しいアプローチ」」『パブリック・ヒストリー』第7巻、大阪大学西洋史学会、2010年、86-104頁。