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クッセリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クッセリ

Kousséri
カメルーンとチャドの国境のロゴーヌ川に架かるンゲリ橋
カメルーンとチャドの国境のロゴーヌ川に架かるンゲリ橋
クッセリの位置(カメルーン内)
クッセリ
クッセリ
カメルーンにおける位置
北緯12度04分42秒 東経15度01分51秒 / 北緯12.07833度 東経15.03083度 / 12.07833; 15.03083
カメルーンの旗 カメルーン
極北州
Logone-et-Chari
面積
 • 合計 60 mi2 (160 km2)
標高
889 ft (271 m)
人口
(2010)
 • 合計 101,246人

クッセリフランス語: Kousséri)は、カメルーン北部の極北州にある、人口およそ10万人の都市。

概要

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首都ヤウンデからは北に約1,000km離れている。 2010年の国勢調査によると、人口は101,246人。最近ではチャドからの難民によって人口が増加している。[1]シュワ族のアラブ人が人口の大半を占めており、アラビア語チャド方言が共通語として使用されている。

地理

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カメルーンチャドの国境を流れる、シャリ川ロゴーヌ川の合流点に位置する。面積は160km2。川の対岸にはチャドの首都であるンジャメナがあり、クッセリとはンゲリ橋で繋がっている。

この地域はサヘル地帯に属する。一年のほとんどが灼熱の暑さであり、雨季はわずか3~5ヶ月のみ。年間降水量はおよそ500〜600mmである。年間平均気温は約27℃であり、一年間で最も高い4月の平均最高気温は約42℃。植生サバンナ

歴史

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クッセリは、1396年から1893年まで存在したボルヌ王国の重要な場所だった。[2]

1900年4月22日、クッセリ近郊で、フランスシャリ=バギルミ地域占領計画からクッセリの戦いが勃発した。フランスが編成したアルジェリアニジェールコンゴからの3つの部隊がクッセリに進撃した。結果フランスが勝利したことにより、フランスチャドを正式に統治することとなった。第一次世界大戦カメルーンフランス領とイギリス領に分割されると、クッセリはフランスの統治下に置かれた。

1955年暴動が発生したが、フランス当局によって鎮圧された。1956年、カメルーンに独自の政府を持つ自治権が与えられると、1960年1月1日にはカメルーン共和国として独立した。しかしフランスに対する反乱は内戦に発展し、1970年代まで続いた。

風景

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脚注

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  1. ^ チャド:ユニセフ、数万人の避難民への緊急支援を準備. 日本ユニセフ協会 (2008). 2023年9月17日閲覧。
  2. ^ Helmolt, Hans F. (ed.) (1903) The history of the world; a survey of a man's record, Volume III: West Asia and Africa Dodd, Meade and Co., New York, p. 536, OCLC 1193060