クッセリ
クッセリ Kousséri | |
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カメルーンとチャドの国境のロゴーヌ川に架かるンゲリ橋 | |
北緯12度04分42秒 東経15度01分51秒 / 北緯12.07833度 東経15.03083度 | |
国 | カメルーン |
州 | 極北州 |
県 | Logone-et-Chari |
面積 | |
• 合計 | 60 mi2 (160 km2) |
標高 | 889 ft (271 m) |
人口 (2010) | |
• 合計 | 101,246人 |
クッセリ(フランス語: Kousséri)は、カメルーン北部の極北州にある、人口およそ10万人の都市。
概要
[編集]首都ヤウンデからは北に約1,000km離れている。 2010年の国勢調査によると、人口は101,246人。最近ではチャドからの難民によって人口が増加している。[1]シュワ族のアラブ人が人口の大半を占めており、アラビア語チャド方言が共通語として使用されている。
地理
[編集]カメルーンとチャドの国境を流れる、シャリ川とロゴーヌ川の合流点に位置する。面積は160km2。川の対岸にはチャドの首都であるンジャメナがあり、クッセリとはンゲリ橋で繋がっている。
この地域はサヘル地帯に属する。一年のほとんどが灼熱の暑さであり、雨季はわずか3~5ヶ月のみ。年間降水量はおよそ500〜600mmである。年間平均気温は約27℃であり、一年間で最も高い4月の平均最高気温は約42℃。植生はサバンナ。
歴史
[編集]クッセリは、1396年から1893年まで存在したボルヌ王国の重要な場所だった。[2]
1900年4月22日、クッセリ近郊で、フランスのシャリ=バギルミ地域占領計画からクッセリの戦いが勃発した。フランスが編成したアルジェリア、ニジェール、コンゴからの3つの部隊がクッセリに進撃した。結果フランスが勝利したことにより、フランスがチャドを正式に統治することとなった。第一次世界大戦でカメルーンがフランス領とイギリス領に分割されると、クッセリはフランスの統治下に置かれた。
1955年暴動が発生したが、フランス当局によって鎮圧された。1956年、カメルーンに独自の政府を持つ自治権が与えられると、1960年1月1日にはカメルーン共和国として独立した。しかしフランスに対する反乱は内戦に発展し、1970年代まで続いた。