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キリク峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリク峠
所在地 パキスタンの旗 パキスタン中華人民共和国の旗 中国
座標 北緯37度4分45秒 東経74度40分20秒 / 北緯37.07917度 東経74.67222度 / 37.07917; 74.67222座標: 北緯37度4分45秒 東経74度40分20秒 / 北緯37.07917度 東経74.67222度 / 37.07917; 74.67222
標高 4827 m
山系 カラコルム山脈
プロジェクト 地形
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キリク峠
各種表記
繁体字 基里克達坂
簡体字 基里克达坂
拼音 jīlǐkè dábǎn
英文 Kilik Pass
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キリク峠(キリクとうげ、中国語: 基里克达坂;[1]ウルドゥー語: کلوک پاس、キリク・ダバーン)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区パキスタンギルギット・バルティスタン州にあるカラコルム山脈の標高4827メートルのである。東のミンタカ峠とともに、古来よりフンザに北から入るための主要なルートであり、また、南からカラチグ峡谷英語版タグドゥンバシ・パミール英語版に行くための道でもあった。

歴史

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ミンタカ峠とキリク峠は、タリム盆地から北インドに入るための最短・最速の道であり、年中通行可能であるが、古代においては非常に危険であり、徒歩でしか通れない道だった。タシュクルガンから南へ70キロメートル以上進むと、ミンテケ川(現在のカラチグ川)の合流点に到着する。この谷を西に80キロメートルほど進むとミンタカ峠に到達し、そこから30キロメートルほど離れたところにキリク峠がある。この峠はどちらもフンザの北部に通じており、そこからギルギット峡谷英語版カシミールガンダーラへと向かうことができる[2]

ミンタカ峠は、古代、氷河に覆われるまではよく使われていた主要な峠だった。ミンタカ峠が氷河に覆われた後、中国やアフガニスタンからのキャラバン隊は、より広く、氷河がなく、キャラバン隊の動物のための十分な牧草が確保できるキリク峠を好んで使用するようになった[3]

フンザの聖岩英語版には、馬に乗った人やアイベックスが描かれた多数のペトログリフがあり、サカパウラヴァ英語版の支配者に言及したカロシュティ碑文も残されている。歴史家は、紀元前1世紀にマウエス英語版タキシラを攻略した際には、ミンタカ峠かキリク峠のいずれかを経由するカラコルム・ルートを使用したに違いないと評価している[4]

1890年代、イギリスロシアとのグレートゲームの一環として、この峠の近くに前哨基地を設置した[5]。イギリスはこの地域を調査し、ロシアが侵攻してきた場合にキリク峠は容易に防御できると判断した[6]。このことが、この地域の国境線の設定に影響を与えたと考えられる[7]

現在の状態

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クンジュラブ峠を越えるカラコルム・ハイウェイが建設されて以来、この峠は使われなくなっている。2010年代後半現在、パキスタン側にはキリク峠へのトレッキングを案内する会社がある[8]。中国側では、観光客の立ち入りを禁止している。

脚注

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  1. ^ ウィキソース出典  (中国語) 中华人民共和国政府和巴基斯坦政府关于中国新疆和由巴基斯坦实际控制其防务的各个地区相接壤的边界的协定 [China-Pakistan Border Agreement], (1963-03-02), ウィキソースより閲覧, "穿过基里克达坂(达旺)" 
  2. ^ Hill, John E. (2003-09). “Section 20 The Kingdom of Suoche 莎車 (Yarkand).”. The Western Regions according to the Hou Hanshu. University of Washington. https://depts.washington.edu/silkroad/texts/hhshu/hou_han_shu.html 2017年2月7日閲覧。 
  3. ^ Historical Kilik and Mintika Pass”. www.gojal.net (2006年). 2014年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月2日閲覧。
  4. ^ Puri, B. N. (1996), “The Sakas and Indo-Parthians”, in János Harmatta, History of Civilizations of Central Asia, Volume II: The development of sedentary and nomadic civilizations: 700 B.C. to AD> 250, UNESCO Publishing, ISBN 978-92-3-102846-5, http://unesdoc.unesco.org/images/0010/001057/105703eo.pdf 
  5. ^ Appletons' Annual Cyclopædia and Register of Important Events of the Year .... D. Appleton & Company. (1895). p. 368. https://books.google.com/books?id=66sYAAAAIAAJ&pg=PA368. "Previous to this Russian advance the British were said to have established outposts at the Kilik and Mintaka passes beyond the Hindu Kush." 
  6. ^ Sir Norman Lockyer (1899). Nature. Macmillan Journals Limited. p. 496. https://books.google.com/books?id=2vIyAQAAMAAJ&pg=PA496. "The keynote of his views is expressed in the title of a photograph of the Kilik Pass, which is described as one of the few passes by which India might be invaded. We presume that the Mintaka is another. But ... with which even a small undisciplined force can stop a whole army, when acting in difficult ground and on the defensive." 
  7. ^ Parshotam Mehra (1992). An "agreed" frontier: Ladakh and India's northernmost borders, 1846-1947. Oxford University Press. p. 123. https://books.google.com/books?id=mIduAAAAMAAJ. "Kilik pass which was rated of potentially great importance in the event of a war with Russia. The fact that it could only be defended with small numbers made it very necessary to align the border so that this could be done as effectively as possible." 
  8. ^ Nisar Ali Rozi. “Treks / Kilick”. Hunza Adventure Tours. 2017年2月7日閲覧。

関連項目

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