コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

キャンプ・ハカタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャンプ・ハカタ
(1945-1972[1]
福岡市東区西戸崎
キャンプ・ハカタ本部(1957年)
歴史
使用期間1945-1972

キャンプ・ハカタ(Camp Hakata)は、福岡県粕屋郡志賀島村(現在の福岡市東区西戸崎)に存在した在日米軍の兵舎・通信基地[2]。同郡和白村雁の巣(現在の同区雁の巣)に存在したブレディ飛行場など、周辺の基地や施設を含めた名称としても用いられる。

施設

[編集]

基地内には、司令部、兵舎、大食堂、物資販売部(BX、PX)、発電所、米兵の福利厚生施設などが存在した[3]

1953年に書かれた『基地日本』には当時のキャンプハカタの様子が「旧博多海軍航空隊はキャンプ・ハカタと呼ばれる大兵営となった」「この半島は夜を知らない。どんな渇水期も、昨年の電産ストの時でさえも、暗い停電の福岡市から見ると灯りが点々と湾上に見える。この半島は外国である」と書かれている[4]

呼称

[編集]

アメリカ海軍の信号監視および暗号諜報部隊であるStation HYPO(アメリカ太平洋艦隊通信情報局)によれば、時期及び地域によって

  • Hakata Air Station(博多飛行場)
    Hakata Air Station時期の司令部
  • Camp Hakata(キャンプ・ハカタ)
  • Brady Air Field(ブレディ飛行場)
  • Brady Air Base(ブレディ航空基地)
  • Brady Auxiliary Air Field(板付飛行場の一部としてのブレディ補助飛行場)
  • Hakata Administration Annex(博多管理別館)

などの名称で呼ばれていた[5]

Hakata Administration Annexと呼ばれている時期でも、キャンプ・ハカタという呼称は使われていた[6]。また、当時の米兵が過去を振り返る時、時期や地域を超えて「キャンプ・ハカタ」として総称する場合がある[7]

歴史

[編集]
1954年2月9日 マリリンモンローが米軍の慰問に訪れた
  • 1940年(昭和15年)西戸崎に水上機の練習航空隊が設置され、博多海軍航空隊と呼ばれる[8]
  • 1945年(昭和20年)10月5日、博多海軍航空隊跡を米軍が接収、駐留[8]。雁ノ巣がブレディ飛行場となる[9](陸軍管轄)
  • 1948年(昭和23年)ASA(陸軍セキュリティ局)第126警備中隊が西戸崎に短波方向探知機(HF/DF)システムを設置[10]
  • 1954年(昭和29年)2月 マリリン・モンロー来訪[11]
  • 1956年(昭和31年)7月1日。ブレディ飛行場の管轄が陸軍から空軍になる。それに伴い基地の機能がキャンプ・ハカタからブレディ飛行場となる[12]
  • 1958年(昭和33年)ブレディ飛行場が、ブレディ航空基地として運用される[5]。米空軍の6918th RSM (Radio Squadron Mobile) が入り、何度かの名称の変更ののちに最終的に第6918 警備中隊となる[13]
  • 1961年(昭和36年)ブレディ航空基地が、ブレディ補助飛行場として運用され、板付飛行場(現在の福岡空港)の一部としての位置づけとなる[5]
  • 1962年(昭和37年)1月1日。ブレディ補助飛行場は博多管理別館(Hakata Administration Annex)と改称された[5]
  • 1972年(昭和47年)米軍の撤収。
  • 1977年(昭和52年)3月10日に返還、跡地に海の中道海浜公園が整備された[2][14]

キャンプ・ハカタ・プロジェクト

[編集]

2018年夏、西戸崎・志賀島地区の町おこしの一環として「西戸崎にアメリカの街を再び!」をテーマに志賀商工会が企画しているプロジェクト[15]海の中道海浜公園や地元の有志によってチームを結成。町おこしの活動が始まった。2019年10月、1966年ごろ駐屯していたアメリカ空軍6918部隊「Last Big One」に招待され、プロジェクトチームメンバー5名がフロリダ州ジャクソンビルに行く。

2023年2月28日 - レシピ本「HAKATA HIBACHI(ハカタ・ヒバチ)」を翻訳し、家庭料理を再現する取り組みを行う[16][17][18][19]

ファンブック

[編集]

2019年2月より、「僕の町にはアメリカがあった」SAITOZAKI FUN BOOKを発行 Vol.1 記憶の中の宝物(第1版5000部)[20][21]、2023年3月にはVol.2も発行された。

ウォール&シャッターアートとオブジェ

[編集]

西戸崎にかつてのアメリカンな街並みを再現する「SAITOZAKI アメリ化再現プロジェクト」において、2020年に第1弾として九州産業大学造形短期大学部の学生の協力のもとウォール&シャッターアートが描かれた[22][23]。2021年に第2弾としてJR西戸崎駅前にハリウッド風の立体文字オブジェを設置した[22]。第3弾では志賀島エリアも加わり、プロのクリエイターによるシャッターアートが制作された[24]。第4弾では大岳地区にも進出し、新たなシャッターアートが制作された[25]。第5弾では一日で絵を完成させるライブパフォーマンスが行われた[26]

西戸崎駅から西戸崎商店街までの通りを「マリリン・ストリート」としている[27]

ギャラリー

[編集]

関連項目

[編集]

福岡第一飛行場

脚注

[編集]
  1. ^ No.368 碧眼が撮ったフクオカ,1950(2) アーカイブズ 福岡市博物館”. museum.city.fukuoka.jp. 2024年2月18日閲覧。
  2. ^ a b 福岡市史 第八巻 昭和編後編(四). 福岡市役所. (1978-3). p. 538 
  3. ^ 西戸崎の歴史~私たちの郷土史~. 西戸崎郷土史研究会. p. 24 
  4. ^ 猪俣浩三 等編『基地日本』和光社、1953年、188頁。doi:10.11501/2985108 
  5. ^ a b c d NSGA Hakata Japan Closed in April 1972, 45 Years Ago This Month” (英語). Station HYPO (2017年4月4日). 2024年2月25日閲覧。
  6. ^ US-signals-intelligence-SIGINT-activities-in-Japan-final-v2” (PDF). The Nautilus Institute. p. 22 (2015年12月23日). 2024年2月26日閲覧。
  7. ^ 14th USASA Field Station - 1946-1”. web.archive.org (2008年9月28日). 2024年2月27日閲覧。
  8. ^ a b 福岡市 歴史 歩・歩・歩(さんぽ) ボランティアのおすすめスポット”. www.city.fukuoka.lg.jp. 2024年2月25日閲覧。
  9. ^ 14th USASA Field Station - Aerial Pictures”. web.archive.org (2006年12月17日). 2024年2月25日閲覧。
  10. ^ US-signals-intelligence-SIGINT-activities-in-Japan-final-v2” (PDF). The Nautilus Institute. p. 119 (2015年12月23日). 2024年2月26日閲覧。
  11. ^ <あの日>マリリン・モンローが来福/1954年2月8日 | ピックアップ”. 福岡ふかぼりメディア ささっとー. 2024年2月25日閲覧。
  12. ^ TACTICAL AIR COMMAND LANGLEY AFB VA (1989-11-08). Base Realignment Activities at Bergstrom Air Force Base, Texas. Fort Belvoir, VA. https://doi.org/10.21236/ada268958. 
  13. ^ 6918th RSM/SS.” (PDF). 6918th RSM/SS Hakata. 2024年3月1日閲覧。
  14. ^ 海の中道の歴史 | 国営海の中道海浜公園事務所”. www.qsr.mlit.go.jp. 2024年2月25日閲覧。
  15. ^ キャンプハカタプロジェクト(CHP)とは”. 福岡県 志賀島・西戸崎地区の商工業者を支援する 志賀商工会. 2024年2月25日閲覧。
  16. ^ 「米軍家族の味 再現」『読売新聞(夕刊)』2023年2月28日、4版、6面。
  17. ^ 「「基地の街」レシピ継承」『読売新聞』2023年3月1日、29面。
  18. ^ 「米兵の家庭レシピを翻訳」『西日本新聞』2022年11月28日、16版、23面。
  19. ^ 「Residents recreate bygone U.S. base recipes」『THE JAPAN NEWS BY THE YOMIURI SHIMBUN』2023年3月18日、16面。
  20. ^ 「僕の街にはアメリカがあった」 西戸崎の魅力紹介 志賀商工会が冊子発行 モンロー慰問、住民と米兵交流…”. 西日本新聞me. 2024年2月25日閲覧。
  21. ^ 志賀商工会”. 官公庁. 2024年2月25日閲覧。
  22. ^ a b SAITOZAKI アメリ化(カ)再現プロジェクト始動!!”. 福岡県 志賀島・西戸崎地区の商工業者を支援する 志賀商工会. 2024年2月25日閲覧。
  23. ^ 「店のシャッターを”アメリカ化”」『西日本新聞』2022年9月17日、16、19面。
  24. ^ SAITOZAKI アメリ化(カ)再現プロジェクト 2年目に突入!!”. 福岡県 志賀島・西戸崎地区の商工業者を支援する 志賀商工会. 2024年2月25日閲覧。
  25. ^ SAITOZAKI アメリ化(カ)再現プロジェクト 3年目突入!!”. 福岡県 志賀島・西戸崎地区の商工業者を支援する 志賀商工会. 2024年2月25日閲覧。
  26. ^ 「SAITOZAKI ART BASEイベント」開催!~アートテーマ「海と一緒に生きる」~(経済観光文化局地域産業支援課)”. 2024年2月25日閲覧。
  27. ^ 「キャンプハカタ」ゆかりの商店街がアートの街に | Feel Fukuoka Japan” (2021年1月8日). 2024年2月18日閲覧。