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カタリナ・デ・ランカステル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カタリナ・デ・ランカステル
Catalina de Lancáster
カスティーリャ王妃
在位 1390年10月9日 - 1406年12月25日

出生 (1373-03-31) 1373年3月31日
イングランド王国の旗 イングランド王国ハートフォードシャー ハートフォード城
死去 (1418-06-02) 1418年6月2日(45歳没)
カスティーリャ王国バリャドリッド
埋葬 カスティーリャ王国トレド大聖堂
結婚 1393年 マドリード
配偶者 エンリケ3世
子女 マリア
カタリナ
フアン2世
家名 ランカスター家
父親 ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント
母親 コンスタンス・オブ・カスティル
宗教 ローマ・カトリック
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カタリナ・デ・ランカステル(Catalina de Lancáster, 1373年3月31日 - 1418年6月2日)は、カスティーリャ王エンリケ3世の王妃。

英語名キャサリン・プランタジネット(Catharine Plantagenet)またはキャサリン・オブ・ランカスター(Katherine of Lancaster)。

生涯

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イングランドのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、2度目の妻コンスタンス・オブ・カスティル(スペイン名:コンスタンサ・デ・カスティーリャ)の長女として、ハートフォードで生まれた。母はカスティーリャ王ペドロ1世の次女であり、父が庶兄エンリケ2世に謀殺された後、「カスティーリャ女王コンスタンサ」を名乗り、自身の王位継承権を主張していた。

その後1388年に、フアン1世とイングランドが結んだバイヨンヌ条約英語版により、コンスタンスとジョンはカスティーリャ王位請求権を放棄し、代わりに賠償金と領地を受け取った。そして、正当な王位継承者であるカタリナを、庶出の(簒奪者の)トラスタマラ家に嫁がせることで、両者の争いを終結させた。また、同時期に父ジョンは隣国ポルトガルと同盟関係を締結させ、カタリナの異母姉フィリッパジョアン1世に嫁がせた。

1393年に、マドリードアストゥリアス公エンリケと結婚し、3子をもうけた。

  • マリア(1401年 - 1458年) 従兄にあたるアラゴンアルフォンソ5世と結婚
  • カタリナ(1403年 - 1439年) アルフォンソ5世の弟で従兄にあたるビリェーナ伯エンリケと結婚
  • フアン(1405年 - 1454年) のちのフアン2世

カタリナは夫の死後、幼いフアン2世の摂政をエンリケ3世の弟フェルナンド・デ・アンテケラ(後のアラゴン王フェルナンド1世)とともに務めた。1418年、カタリナはバリャドリッドで死去した。

系譜

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カタリナ 父:
ジョン・オブ・ゴーント
祖父:
エドワード3世 (イングランド王)
曽祖父:
エドワード2世 (イングランド王)
曽祖母:
イザベラ(フランス王女)
祖母:
フィリッパ・オブ・エノー
曽祖父:
ギヨーム1世 (エノー伯)
曽祖母:
ジャンヌ[1]
母:
コンスタンサ
祖父:
ペドロ1世
曽祖父:
アルフォンソ11世 (カスティーリャ王)
曽祖母:
マリア(ポルトガル王女)
祖母:
マリア・デ・パディーリャ
曽祖父:
フアン・ガルシア・デ・パディーリャ
曽祖母:
マリア・デ・イネストロサ

脚注

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  1. ^ フランスフィリップ6世の妹。