カタリナ・デ・ランカステル
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(キャサリン・プランタジネットから転送)
カタリナ・デ・ランカステル Catalina de Lancáster | |
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カスティーリャ王妃 | |
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在位 | 1390年10月9日 - 1406年12月25日 |
出生 |
1373年3月31日 イングランド王国、ハートフォードシャー ハートフォード城 |
死去 |
1418年6月2日(45歳没) カスティーリャ王国、バリャドリッド |
埋葬 | カスティーリャ王国、トレド大聖堂 |
結婚 | 1393年 マドリード |
配偶者 | エンリケ3世 |
子女 |
マリア カタリナ フアン2世 |
家名 | ランカスター家 |
父親 | ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント |
母親 | コンスタンス・オブ・カスティル |
宗教 | ローマ・カトリック |
カタリナ・デ・ランカステル(Catalina de Lancáster, 1373年3月31日 - 1418年6月2日)は、カスティーリャ王エンリケ3世の王妃。
英語名キャサリン・プランタジネット(Catharine Plantagenet)またはキャサリン・オブ・ランカスター(Katherine of Lancaster)。
生涯
[編集]イングランドのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、2度目の妻コンスタンス・オブ・カスティル(スペイン名:コンスタンサ・デ・カスティーリャ)の長女として、ハートフォードで生まれた。母はカスティーリャ王ペドロ1世の次女であり、父が庶兄エンリケ2世に謀殺された後、「カスティーリャ女王コンスタンサ」を名乗り、自身の王位継承権を主張していた。
その後1388年に、フアン1世とイングランドが結んだバイヨンヌ条約により、コンスタンスとジョンはカスティーリャ王位請求権を放棄し、代わりに賠償金と領地を受け取った。そして、正当な王位継承者であるカタリナを、庶出の(簒奪者の)トラスタマラ家に嫁がせることで、両者の争いを終結させた。また、同時期に父ジョンは隣国ポルトガルと同盟関係を締結させ、カタリナの異母姉フィリッパをジョアン1世に嫁がせた。
1393年に、マドリードでアストゥリアス公エンリケと結婚し、3子をもうけた。
- マリア(1401年 - 1458年) 従兄にあたるアラゴン王アルフォンソ5世と結婚
- カタリナ(1403年 - 1439年) アルフォンソ5世の弟で従兄にあたるビリェーナ伯エンリケと結婚
- フアン(1405年 - 1454年) のちのフアン2世
カタリナは夫の死後、幼いフアン2世の摂政をエンリケ3世の弟フェルナンド・デ・アンテケラ(後のアラゴン王フェルナンド1世)とともに務めた。1418年、カタリナはバリャドリッドで死去した。
系譜
[編集]カタリナ | 父: ジョン・オブ・ゴーント |
祖父: エドワード3世 (イングランド王) |
曽祖父: エドワード2世 (イングランド王) |
曽祖母: イザベラ(フランス王女) | |||
祖母: フィリッパ・オブ・エノー |
曽祖父: ギヨーム1世 (エノー伯) | ||
曽祖母: ジャンヌ[1] | |||
母: コンスタンサ |
祖父: ペドロ1世 |
曽祖父: アルフォンソ11世 (カスティーリャ王) | |
曽祖母: マリア(ポルトガル王女) | |||
祖母: マリア・デ・パディーリャ |
曽祖父: フアン・ガルシア・デ・パディーリャ | ||
曽祖母: マリア・デ・イネストロサ |