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金格植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キム・ギョクシクから転送)
金格植
各種表記
チョソングル 김격식
漢字 金格植/金格埴
発音 キム・ギョクシク、キム・キョクシク
日本語読み: きんかくしょく
英語 Kim Kyok-sik
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金 格植(キム・ギョクシク、김격식、1940年[1]10月5日(1938年3月11日[2] - 2015年5月10日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人朝鮮人民軍総参謀長人民武力部長朝鮮労働党中央委員会政治局員候補、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員を歴任。朝鮮人民軍における軍事称号大将

経歴

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出身地は咸鏡南道定平郡[2]

野戦軍出身。1971年より、10年ほどシリア駐在北朝鮮大使館の駐在武官として活動する[3]。1980年代より軍団長を務める[4]。1990年、最高人民会議代議員、朝鮮労働党中央委員等に選出[4]。1992年、朝鮮人民軍上将の軍事称号を授与される[4]

1994年7月、金日成国家主席の死去の際、国家葬儀委員会の名簿の84番目に掲載された[4]。同年10月、朝鮮人民軍第2軍団長(西部戦線の軍団)に就任し、10年あまり在職した[4]。1997年、朝鮮人民軍大将に昇格[4]

2007年4月、朝鮮人民軍総参謀長に就任[4]。2008年11月、朝鮮民主主義人民共和国にて、ミャンマー軍政代表団との会談・軍事協力の覚書調印に参加した[5]

2009年2月、朝鮮人民軍第4軍団長(黄海の南北境界水域NLLの軍団)に就任[6][7]統一日報はその人事を左遷と位置付けている。同年3月、最高人民会議第12期代議員選挙では、議員に選出されなかった[7][8]

2010年11月、延坪島砲撃事件を軍団長として指揮[9]

2011年12月、金正日国防委員長の死去の際、国家葬儀委員会の名簿に掲載されず[9]

2012年10月に人民武力部長への就任が確認され[10][11]、2013年3月31日の党中央委員会全員会議で党中央委員会政治局員候補への就任と[12]、翌4月1日の第12期最高人民会議第7回会議で国防委員会委員への就任が確認されたが[13]、同年5月には人民武力部長の解任[14]と総参謀長への復帰が確認され[15]、同年8月には総参謀長の解任が確認された。

2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に選出されたが[16]、同年4月9日に開かれた第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会委員に選出されず同職を退任した[17]

2015年5月10日朝鮮労働党機関紙の労働新聞は、金格植が癌による呼吸不全により5月10日未明に亡くなったことを報じた[18][19]。74歳没。

人物

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  • 大韓民国からは強硬派と見られている[6][20]
  • 元・大韓民国大統領全斗煥によると、1983年のラングーン事件の総責任者は金格植(隊長)である[21]
  • 2007年4月25日、朝鮮人民軍建軍75周年の記念行事が平壌で開催された。その閲兵式で金格植総参謀長が次のように演説をしている[22][23][24]

    「もし、米帝国主義者がわれわれの自主権と生存権を少しでも侵害すれば、彼らを一撃で撃滅、掃討し、民族の最大の悲願である祖国統一の歴史的偉業を必ず成し遂げる」

  • 元・大韓民国海軍参謀総長の安炳泰(アン・ビョンテ、안병태)によると、2009年11月10日に黄海(西海)で起きた大青海戦に金格植第4軍団長が関与している[25]
  • 元・朝鮮人民軍偵察局長金大植(キム・デシク、김대식)は、いとこである[4]
  • シリアに10年滞在した経験から、アラビア語に堪能であり、シリアとの関係が深い。核開発化学兵器開発を含む北朝鮮とシリア間の軍事協力における、中心人物とされる[3]

脚注

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  1. ^ http://www.kinu.or.kr/upload/neoboard/DATA05/etc1.pdf
  2. ^ a b 김격식”. 韓国統一部(朝鮮語). 2022年7月20日閲覧。
  3. ^ a b 松本太 (2013年10月18日). “シリアと北朝鮮はどこまで深い関係なのか 謎解きは「査察」のあとで?”. 日本ビジネスプレス. http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38947 2013年10月18日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h 北・軍総参謀長に金格植氏 中央日報 2007年4月23日
  5. ^ ミャンマー軍大将が極秘訪朝 昨年、軍事協力で合意 47NEWS 2009年7月3日
  6. ^ a b “銃撃戦に北強硬派関与か 韓国紙報じる”. 中日新聞 (中日新聞社). (2009年11月11日). オリジナルの2009年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091118215528/http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0001/list/200911/CK2009111102000250.html 
  7. ^ a b 北朝鮮の金格植前総参謀長、NLL管轄の軍団長に ワウコリア 2009年3月12日
  8. ^ 金総書記夫人、金玉氏の父親が代議員に当選 中央日報 2009年3月11日
  9. ^ a b 延坪島砲撃主導の金格植、葬儀委員名簿から抜ける 中央日報 2011年12月21日
  10. ^ 金正恩氏 軍首脳部を大幅に交代=忠誠心重視」『聯合ニュース』2012年11月29日
  11. ^ 北朝鮮軍の最強硬派・金格植氏、人民武力相就任」『YOMIURI ONLINE』2012年11月29日
  12. ^ 北朝鮮で労働党全員会議、権力の重大変化を発表 中央日報 2013年4月1日
  13. ^ 北朝鮮権力の上層部 咸鏡道出身者が躍進 中央日報 2013年4月2日
  14. ^ 北朝鮮 人民武力部長に若手の張政男氏任命 『聯合ニュース』2013年5月13日
  15. ^ 北朝鮮、軍総参謀長に金格植氏が復帰=KCNA”. ロイター (2013年5月22日). 2013年5月25日閲覧。
  16. ^ 投票率99.97%、当選議員の55%が新顔 朝鮮日報 2014年3月12日
  17. ^ 최룡해, 장성택 자리 메우고 명실상부한 '北 2인자'로 朝鮮日報 2014年4月10日
  18. ^ 김격식동지의 서거에 대한 부고 労働新聞(朝鮮労働党) 主体104年(2015年)5月10日閲覧
  19. ^ 北朝鮮軍強硬派が死去 砲撃主導説の金格植氏 産経新聞 2015年5月11日閲覧
  20. ^ “北朝鮮軍強硬派が視察中か 南北銃撃戦で韓国紙”. MSN産経ニュース. 共同通信 (産経デジタル). (2009年11月11日). オリジナルの2009年11月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091129231215/http://sankei.jp.msn.com/world/korea/091111/kor0911111142001-n1.htm 
  21. ^ 金泳三「100%北の魚雷」、全斗煥「ラングーン事件もキム・キョクシクが総責任者」 中央日報 2010年4月24日
  22. ^ 7 北朝鮮核兵器開発の狙い - 体制保証のため? 防衛省
  23. ^ 北朝鮮で建軍閲兵式 大型兵器が15年ぶり登場 中日新聞 2007年4月26日[リンク切れ]
  24. ^ 朝鲜人民军 大阅兵大将金格植发发表讲话 凤凰网 ifeng.com - 朝鮮人民軍創建75周年閲兵式の演説映像。中国語の字幕「美國」は「アメリカ合衆国」。
  25. ^ 第3章 朝鮮半島 先軍政治強化と「グランド・バーゲン」提案 日本の防衛省

関連項目

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 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
玄永哲
朝鮮人民軍総参謀長
2013年 - 2013年
次代
李永吉
先代
金正覚
人民武力部長
2012年 - 2013年
次代
張正男
先代
金永春
朝鮮人民軍総参謀長
2007年 - 2010年
次代
李英浩