ガイウス・スルピキウス・ガッルス (紀元前243年の執政官)
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ガイウス・スルピキウス・ガッルス C. Sulpicius C.f. Ser.n. Gallus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | スルピキウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前243年) |
ガイウス・スルピキウス・ガッルス(ラテン語: Gaius Sulpicius Gallus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前243年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]パトリキであるスルピキウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はガイウス、祖父はセルウィウスである[1]。紀元前166年の執政官ガイウス・スルピキウス・ガッルスは孫と思われる[2]。
経歴
[編集]第一次ポエニ戦争の最終段階であった紀元前243年に、ガッルスは執政官に就任した。同僚執政官はガイウス・フンダニウス・フンドゥルスであった。おそらく、両執政官ともにシケリアに渡り、カルタゴの将軍ハミルカル・バルカと戦ったと思われる。しかし、この年の軍事作戦は不明であり[3]、またガッルス自身の行動も不明である。
歴史学者のフリードリッヒ・ミュンツァーは、ガッルスはシケリアには渡らず、イタリア半島での作戦を担当したのではないかと考えている[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]古代の資料
[編集]研究書
[編集]- Friedrich Münzer. "Sulpicius 65" // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft, 1931
- Friedrich Münzer. "Sulpicius 66" // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft. 1931.
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス、 ガイウス・センプロニウス・ブラエスス II |
執政官 同僚:ガイウス・フンダニウス・フンドゥルス 紀元前243年 |
次代 ガイウス・ルタティウス・カトゥルス、 アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス |