カラ・バルガスン遺跡
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カラ・バルガスン遺跡(Qara Balγasun)は、8世紀のウイグル可汗国(回鶻)時代に建設されたオルド・バリク城址を中心とする遺跡群。カラ・バルガスン(ハル・バルガス、ハラ・バルガスン)とはモンゴル語で「黒き都市、廃墟の都市」を意味する。位置は北緯47度24-26分・東経102度38-39分、モンゴル国のオルホン川西岸にある。
オルド・バリク城址
[編集]→詳細は「オルド・バリク」を参照
ウイグル可汗国の牟羽可汗(ブグ・カガン、在位:759年 - 779年)が建設した都城。オルド・バリク(Ordu-Baliq)とは古代テュルク語で「可汗庭(本営、本拠地)の都城」を意味する。中国史料では回鶻単于城、卜古罕(ブグハン)城、窩魯朶(オルダ)城などと表記される。
13世紀の歴史家アラー・ウッディーン・ジュヴァイニーは『世界征服者の歴史』において「オルコン河畔に都市と宮殿の遺址があり、往時これをオルド・バリク(宮殿の都市)と呼び、今はマウ・バリク(悪い不幸な都市)と呼んでいる。」とあるように、13世紀ではすでに廃墟となっていた。
カラ・バルガスン碑文
[編集]ウイグル可汗国の保義可汗(在位:808年 - 821年)の時代、オルド・バリクの南に保義可汗を称えるために建てられた碑文で、ウイグル語、ソグド語、漢語の3ヶ国語で記述された。初代の懐仁可汗から第7代の懐信可汗までの歴史を収録し、マニ教の導入と保護に詳しく記されているので、ウイグル可汗国の公式歴史文献であり、第1級史料といえる。
参考資料
[編集]- 『旧唐書』(列伝第一百四十五 迴紇)
- 『新唐書』(列伝第一百四十二上 回鶻上、列伝第一百四十二下 回鶻下)
- コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(平凡社、1976年)
- 小松久男『中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
- 森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年、ISBN 9784062807050)