オーヴルチ公
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オーヴルチ公はオーヴルチ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったオーヴルチによる。
オーヴルチ公の一覧
[編集]- 一覧のうち、( )はオーヴルチ公国領域の統治者の称号を示す。
キエフ・ルーシ期(ドレヴリャーネ公)
キエフ・ルーシ期・オーヴルチ公
- ロマン・ロスチスラヴィチ - 在位:1163年頃
- リューリク・ロスチスラヴィチ - 在位:1212年 - 1203年、1206年 - 1207年、1207年 - 1208年[1]
- ロスチスラフ・リュリコヴィチ - 在位:1210年 - 1218年[1]
- ウラジーミル・リュリコヴィチ - 在位:1219年 - 1223年[1]
- ロスチスラフ・ウラジミロヴィチ - 在位:1223年頃 - 1235年[2][3]
- ウラジーミル・リュリコヴィチ - 在位:1235年 - 1239年[1] ※再任
ジョチ・ウルス期・オーヴルチ公
- モンゴルのルーシ侵攻を経て、1240年よりジョチ・ウルスのバスカクによる統治が行われた。この期間にオーヴルチ公として言及される以下の人物がいる。
- アンドレイ・イヴァノヴィチ - 在位:14世紀の第一四半期[1]
- エフスタフィー・イヴァノヴィチ - 在位:14世紀の第一四半期
- イヴァン・スタニスラヴィチ - 在位:14世紀前半
- イヴァン・ボリソヴィチ? - 在位:? - 1399年[1]
- ドミトリー?[1]
リトアニア大公国期(キエフ公)
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Л. В. Войтович Додаток 1. Державні утворення на українських і суміжних з ними землях та їхні правителі XIII — першої половини XVII ст. // ІСТОРІЯ УКРАЇНСЬКОЇ КУЛЬТУРИ Том 2 (Українська культура XIII — першої половини XVII століть)
- ^ СМОЛЕНСЬКА ГІЛКА РЮРИКОВИЧА. СМОЛЕНСЬКА І ЯРОСЛАВСЬКА ДИНАСТІЇ // Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
- ^ Н. Маркевич. История Малороссии, Т. 5, М. 1843
- ^ Теодорович Н. И. Историко-статистическое описание церквей и приходов Волынской епархии. Т. 1. Почаев, 1888[リンク切れ]