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オープン・ザ・ブレイブゲート王座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オープン・ザ・ブレイブゲート王座
詳細
現王者 ドラゴン・ダイヤ
獲得日 2024年7月21日
管理団体 DRAGONGATE
創立 2005年3月13日
統計
最多保持者 吉野正人:6回
初代王者 土井成樹
最長保持者 PAC:447日
最短所持者 アンソニー・W・森、吉野正人、土井成樹:0日
最年長 ドラゴン・キッド堀口元気:42歳
最年少 フラミータ:19歳

オープン・ザ・ブレイブゲート王座は、DRAGONGATEが管理、認定している王座。

歴史

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2005年3月、K-ness.YOSSINOの発案で創設。3月13日、DRAGONGATE名古屋国際会議場大会で行われた初代王座決定トーナメントに優勝した土井成樹が初代王者になった。体重制限は82kg。

ベルト中央に「龍」のエムブレムがあり、エムブレムは8つにばらせるようになっており、8人による王座決定トーナメントでは8つのエムブレムの配られて勝者が回収していく。

2008年4月27日、第9代王座決定戦に優勝したGammaが「DRAGONGATEで一番勇気のない俺がこのベルトを持っても価値がない」と言い、「龍」のエムブレムを外して独自のエムブレムを付けたオープン・ザ・ガンマゲート王座と名付けられて勝手に王者になっていた。Gammaがコミッショナーに就任。6月29日、Dr.マッスルがGammaを破って「龍」のエムブレムに戻された。独自のエムブレムは超神龍にプレゼントされた。挑戦者はGammaが一方的に決めて何かと言いがかりをつけたり、後付したルールで防衛することがある。立会人の堀口元気が試合に介入することがある。

2011年6月12日、第20代王者のPACイギリスに帰国することを理由にBlood WARRIORS谷嵜なおきがPACから王座を強奪してBlood WARRIORS認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座と名付けられて勝手に王者になっていた。メタル・ウォリアーがコミッショナーに就任。7月24日、リッチ・スワンが谷嵜に挑むも敗北。8月25日、Gammaが谷嵜に挑むも事前に谷嵜から突き付けられた「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」の影響で敗北。9月16日、本当の王者であるPACが「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」で谷嵜を破って王座を自分の手に戻した。

歴代王者

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歴代 チャンピオン 戴冠回数 防衛回数 日付 場所
初代 土井成樹 1 5 2005年3月13日 名古屋国際会議場
第2代 ドラゴン・キッド 1 1 2005年11月13日 名古屋国際会議場
第3代 吉野正人 1 4 2006年3月19日 本川越ペペホール
第4代 マット・サイダル 1 2 2007年2月12日 SITE-KOBE
第5代 堀口元気 1 2 2007年3月25日 津市体育館
第6代 神田裕之 1 2 2007年7月1日 神戸ワールド記念ホール
第7代 吉野正人 2 6 2007年9月22日 大田区体育館
第8代 アンソニー・W・森 1 0 2008年4月13日 名古屋テレピアホール
第9代 Gamma 1 0 2008年4月27日 博多スターレーン
第10代 Dr.マッスル[1] 3 0 2008年6月29日 大阪府立体育会館・第2競技場
第11代 堀口元気 2 2 2008年7月27日 神戸ワールド記念ホール
第12代 吉野正人 4 2 2008年10月12日 名古屋テレピアホール
第13代 CIMA 1 3 2009年3月22日 両国国技館
第14代 土井成樹 2 0 2009年7月19日 神戸ワールド記念ホール
第15代 谷嵜なおき 1 6 2009年8月30日 博多スターレーン
第16代 K-ness. 1 1 2010年1月11日 名古屋テレピアホール
第17代 スペル・シーサー 1 1 2010年2月27日 KBSホール
第18代 タイガースマスク 1 4 2010年4月18日 アプラ高石
第19代 吉野正人 5 0 2010年8月14日 神戸サンボーホール
第20代 PAC 1 11 2010年8月29日 博多スターレーン
第21代 リコシェ 1 3 2011年11月19日 大阪府立体育会館・第2競技場
第22代 ドラゴン・キッド 2 9 2012年5月6日 愛知県体育館
第23代 吉野正人 6 4 2013年5月5日 愛知県体育館
第24代 堀口元気H.A.Gee.Mee!! 3 4 2013年9月29日 神戸サンボーホール
第25代 フラミータ 1 8 2014年3月16日 和歌山県立体育館
第26代 Dr.マッスル[2] 1 1 2015年1月12日 神戸サンボーホール
第27代 戸澤陽 1 6 2015年2月28日 大阪府立体育会館・第2競技場
第28代 Kotoka 1 1 2015年11月1日 大阪府立体育会館
第29代 ヨースケ♡サンタマリア 1 2 2016年3月5日 大阪府立体育会館・第2競技場
第30代 Eita 1 4 2016年7月24日 神戸ワールド記念ホール
第31代 ジミー・カゲトラ 1 5 2017年3月20日 和歌山県立体育館
第32代 神田裕之 2 0 2017年12月23日 福岡国際センター
第33代 パンチ富永 1 0 2018年3月3日 大阪府立体育会館・第2競技場
第34代 ドラゴン・キッド 3 1 2018年4月6日 後楽園ホール
第35代 Eita 2 1 2018年7月22日 神戸ワールド記念ホール
第36代 ドラゴン・キッド 4 2 2018年9月24日 大田区総合体育館
第37代 横須賀ススム 1 4 2019年3月21日 和歌山県立体育館
第38代 石田凱士 1 4 2019年11月4日 大阪府立体育会館
第39代 奥田啓介 1 5 2020年11月3日 大阪府立体育会館
第40代 堀口元気 4 0 2021年7月31日 神戸ワールド記念ホール
第41代 Kagetora 2 0 2021年8月1日 神戸ワールド記念ホール
第42代 SB KENTo 1 0 2021年8月8日 名古屋国際会議場
第43代 SB KENTo 2 4 2021年9月11日 大阪府立体育会館・第2競技場
第44代 ドラゴン・ダイヤ 1 3 2022年1月12日 後楽園ホール
第45代 H・Y・O 1 4 2022年7月30日 神戸ワールド記念ホール
第46代 ミノリータ 1 0 2022年12月25日 福岡国際センター
第47代 ジェイソン・リー 1 2 2023年3月4日 大阪府立体育会館・第2競技場
第48代 ISHIN 1 1 2023年7月2日 神戸ワールド記念ホール
第49代 Kzy 2 0 2023年10月9日 仙台サンフェスタ
第50代 ISHIN 2 1 2023年10月14日 神戸芸術センター
第51代 2 7 2023年12月5日 後楽園ホール
第52代 ドラゴン・ダイヤ 2 3 2024年7月21日 神戸ワールド記念ホール

主な記録

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  • 最多戴冠回数:6回 - 吉野正人(第3・7・10・12・19・23代)[3]
  • 最多連続防衛回数:11回 - PAC(第20代)
  • 最多通算防衛回数:16回 - 吉野正人
  • 最長連続保持期間:447日 - PAC(第20代)
  • 最年長戴冠記録:42歳10か月 - 堀口元気(第40代)
  • 最年少戴冠記録:19歳3か月 - フラミータ(第25代)
  • デビュー最短戴冠記録:1年2か月 - ミノリータ(第46代)
  • オープン・ザ・ドリームゲート王座との同時戴冠:土井成樹(第14代)

主な出来事

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  • 挑戦資格は体重82kg以下であるが2009年2月12日の第12代王者の吉野正人の2度目の防衛戦の相手のKAGETORAは85kgで規定体重をオーバーしていた。この防衛戦は先月25日に行われた「BATTLE OF TOKYO 2009」優勝者と行うことになっていた。しかし、吉野が全参加選手の体重を確認しておらず、KAGETORAの言い分を呑む形となった。そのためこの試合のみ体重制限が撤廃された。これまで規定体重をオーバーしてブレイブゲートに挑戦した選手はいなかった(挑戦が決まった段階で82kg以上あった選手もいたが体重を落として82kg以下にして挑戦した)。
  • 2018年にEitaがベルトを破壊したため、2019年に修理が行われた。この際、当時の王者であったドラゴン・キッドの「ブレイブゲートをそれぞれの王者の色に染めてほしい」という発案によりベルトの色が黒から白に変更された。

その他

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2010年2月27日、タイガースマスク大阪プロレス)が獲得して初めて他団体に流出した。他にフリー、他団体の選手で獲得したのは奥田啓介(フリー)。

脚注

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  1. ^ 正体は吉野正人。
  2. ^ 正体はKzy。
  3. ^ 第10代のDr.マッスルを含む。

外部リンク

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