オルサ級水雷艇
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オルサ級水雷艇 | |
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基本情報 | |
艦種 | 水雷艇(大戦後は対潜フリゲートに類別変更) |
命名基準 | 星座の名前(プロチオーネのみ星の名) |
建造所 |
Bacini & Scali Napoletani Cantieri Navali del Tirreno e Riuniti |
運用者 |
イタリア王立海軍(Regia Marina) イタリア海軍(Marina Militare) |
就役期間 | 1938年 - 1964年 |
同型艦 | 4隻 |
次級 | チクローネ級水雷艇 |
要目 | |
排水量 | 基準 : 840t、満載 : 1,575t |
全長 | 82.5m |
最大幅 | 9.69m |
吃水 | 3.74m |
機関方式 |
蒸気ボイラー×2基 ギヤードタービン×2基 |
出力 | 16,000馬力、2軸推進 |
速力 | 28ノット |
航続距離 | 海里 |
乗員 | 154名 |
兵装 |
建造当初 100mm単装砲×2基 13.2mm対空機関砲×4基 2連装450mm魚雷発射管×2基 爆雷投射機×4基 大戦後 100mm単装砲×1基 単装40mm対空機関砲×4基 ヘッジホッグ×1基 爆雷投射機×2基 爆雷投下軌条×2基 |
オルサ級水雷艇(イタリア語: Classe Orsa)とは、1930年代末にイタリア王国海軍(Regia Marina)が建造した水雷艇である。最初に就役した艇の名前からペガソ級水雷艇(イタリア語: Classe Pegaso)とも呼ばれる。
概要
[編集]同時期にイタリアで建造されたスピカ級水雷艇と比較して船団護衛をより強く意識しており、爆雷投射装置の搭載などにその考えが如実に表れている。
4隻が建造され、うち「ペガソ」と「プロチオーネ」の2隻は第二次世界大戦において1943年9月のベニート・ムッソリーニ失脚およびイタリア王国降伏時に自沈するが、「オルサ」と「オリオーネ」の2隻はドイツ海軍による接収[1]を免れ、イタリア王国海軍における運用が続けられた。
戦後は連合国に対する賠償艇としての引き渡しも免れ、魚雷発射管を撤去し対潜・対空戦闘能力を強化するために40mm機関砲やヘッジホッグを搭載したうえで対潜フリゲートに類別変更され、1964年までイタリア共和国海軍(Marina Militare)で運用された。
同型艇
[編集]艦名 | 識別記号・ ペナント・ナンバー |
造船所 | 起工 | 進水 | 就役 | 退役 |
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ペガソ (Pegaso) |
PG | Bacini & Scali Napoletani、ナポリ | 1936年2月15日 | 1936年12月8日 | 1938年3月30日 | 1943年9月11日、自沈 |
プロチオーネ (Procione) |
PR | Bacini & Scali Napoletani、ナポリ | 1936年2月15日 | 1937年1月3日 | 1938年3月30日 | 1943年9月11日、自沈 |
オリオーネ (Orione) |
OR(建造時) F559(戦後) |
Cantieri Navali del Tirreno e Riuniti、パレルモ | 1936年4月27日 | 1937年4月27日 | 1938年3月31日 | 1964年退役 |
オルサ (Orsa) |
OS(建造時) F558(戦後) |
Cantieri Navali del Tirreno e Riuniti、パレルモ | 1936年4月27日 | 1937年3月21日 | 1938年3月31日 | 1964年退役 |
脚注
[編集]- ^ イタリア王国無条件降伏後、ナチスドイツはムッソリーニを監禁先から救出してイタリア社会共和国(サロ共和国)を建国させ、派遣ドイツ軍と共に連合軍との戦いを続けた(イタリア戦線)。
これに伴い、ドイツはイタリア海軍から多数の駆逐艦や水雷艇、ガッビアーノ級コルベットを接収して運用した。この中でも駆逐艦・水雷艇に関してはen:Torpedoboot Auslandを参照のこと。
外部リンク
[編集]- uboat.net - Orsa class