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オリビエ・ルバスール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルバスールのジョリー・ロジャー(海賊旗)。数少ない白地の海賊旗。[1]

オリビエ・ルバスール (Olivier Levasseur、1688年から1690年の間 - 1730年) は、海賊周航を行ってインド洋のポルトガル船から莫大な財宝を掠奪したフランス海賊ナッソー海賊共和国の一員でもあった。戦闘のさいに片目を負傷し眼帯を付けていたとされる[2]

ノスリを意味するラ・ブーシュ (La Buse)や、口を意味するLa Boucheとして知られる。

略歴

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フライング・ギャング

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大同盟戦争の間にカレーの裕福な家で生まれたルバスールは優れた教育を受け、海軍士官となった。スペイン継承戦争ではルイ14世より私掠免許を与えられ、フランスの私掠船長として活動した。彼は戦争が終わっても祖国には帰らず、海賊船ポスティリオン号の船長として海賊行為を行い、1716年にはベンジャミン・ホーニゴールドの海賊団に加わった[3]フライング・ギャングの一員としてニュープロビデンス島で活動し、黒髭チャールズ・ヴェインヘンリー・ジェニングスなど同時期の有名な海賊たちと行動を共にした。ジェニングスが率いる沈没したスペインの財宝船からピース・オブ・エイト銀貨を略奪する攻撃にも参加したとされる[2]

キューバ周辺での海賊行為の後、ホーニゴールドのイギリス籍の船は襲撃しないという信条によって一味は分裂し、ルバスールはサミュエル・ベラミーポールスグレイブ・ウィリアムズの一派と共に一味から離脱することになった[4]1717年、ルバスールたちは少しの間行動を共にしていたが、アメリカ海岸を襲撃するためにこれもまた分裂してしまう。ルバスールは200人の乗組員を率いてニューイングランドメキシコ湾で海賊行為を行った[2]

ハウエル・デイヴィスとの航海

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ブランキラ島でイギリス軍艦HMSスカーボロ号から逃走したルバスールは西アフリカへ向かい、1719年から1720年にかけてハウエル・デイヴィスおよびトマス・コクリンと行動を共にした[2][5]。当初ルバスールは備砲14門の船でデイヴィスの船を攻撃しようとしたが、相手が同業者であることを知るとよりよい船を手に入れるまで一緒に航海してほしいと頼み、デイヴィスもこれも快諾した[5]シエラレオネではコクリンが仲間に加わり[6]、一行はルバスールのブリガンティン船ウィダーの砦を攻撃して占拠した[2][7]。港に船が入港した時、一行はそれを拿捕し、デイヴィスは当初の約束通りルバスールに船を与えた[8]

作戦会議の結果一行は沿岸を下っていくことになったが、親密な関係はいつまでも続かず、ついには口論に発展してしまった[8]。デイヴィスは一行を解散することに決め、それぞれ別の針路を取ることにした[8]

海賊周航

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1721年4月、船の指揮権をエドワード・イングランドから奪ったジョン・テイラーと合流したルバスールはレユニオン島サン・ドニにて、インド南西沿岸のゴアを出航後、嵐でマストが折れて港に避難していたポルトガル船ノッサ・セニョラ・ド・カボ号を発見した[9]。カボ号には東洋の財宝のほか、ゴア副王エリセイラ伯兼ロウリサル侯ルイス・デ・メネゼス、そしてポルトガル王に届くはずのダイヤモンドを満載していた[9]

一味はカボ号を攻撃し、乗船していたエリセイラ伯爵も勇敢に応戦したが、白兵戦で剣を折られてようやく降伏した[9]。伯爵はこれにより大きな損失を被ったほかに貴重なオリエントの文書類を銃の詰め物にするために奪われ、さらにダイヤモンドが失われたことに腹を立てたポルトガル王により宮廷を追放されてしまった[9]

カボ号を奪った一味はサント・マリー島に向かい、当地で略奪品の分配を行った[10]。ダイヤモンドだけで50万ポンドもの値打ちがあり、それ以外の積み荷の価値も37万5千ポンドにのぼった[11]。乗組員はそれぞれ4,000ポンド以上と一握りの宝石を受け取ったという[11]

カボ号襲撃で一味が略奪した財宝は現代の価値で4億ドル超ともいわれ、これは海賊の歴史上で最大の掠奪にあたる[12]

最期

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レユニオン島サン=ポールにあるルバスールの墓

当時、海賊に対する恩赦権限を持っていたレユニオン島の議会や知事は一味に対する恩赦を発表したが、ルバスールは以前、島に物資を送っていたフランスの奴隷船La Duchesse de Noailles号を燃やしてしまったことがあり、それはさすがに許されないだろうということで、出頭はせず、逃亡生活を送ることにした[13]

ルバスールは当時は無人島だったセーシェル諸島[14][2]、もしくは、マダガスカルのアントンギル湾(ランター湾)に浮かぶマロシ島(Marosy island)に隠れ住み、ヨーロッパの奴隷商人と現地の首長の間を取り持つ生活を送っていた[13]

ルバスールは1730年に、かつてマダガスカルの海賊の基地であったフォール・ドーファン(トラニャロ)で東インド会社のデルミット船長によって逮捕された(マロシ島で逮捕されたという記録もある[15])。彼は数年前にポルトガルの財宝船を掠奪したサン・ドニに連行され、7月7日、海賊行為のために絞首刑に処された。

彼の墓は後年に観光スポットとなったが[2]、ルバスールの遺体が本当に安置されていると確かめられたことはない[16]。当時の史料によれば、ルバスールの遺体は埋葬されることなく、海に流されたという[17]

財宝伝説

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ロンシエールの著書に掲載されたルバスールの暗号文
暗号の解読方法

伝説によれば、絞首台に立ったルバスールは暗号文が入ったネックレスを群衆に向かって放り投げた。そして「解読できる者は、私の宝を探せ」と叫んだ。現代、ルバスールの財宝を追い求めるトレジャーハンターがインド洋の島々で財宝探しを続けている。

1934年、フランスの歴史家シャルル・ド・ラ・ロンシエールフランス語版が出版した『Le Flibustier mysterieux: Histoire d’un trésor caché』の中で初めて暗号文が登場した[18]

暗号文がフリーメイソンテンプル騎士団などが使用していたピッグペン暗号英語版と呼ばれる方式で記述されていることは『Le Flibustier mysterieux』の中で明らかになっていた[19]。そして、暗号文自体の解読も同著作の中ですでに行われていたが、解読された文章は財宝とは何の関係もないものだった[19]

このことから、暗号文自体は本物でもルバスールや財宝との繋がりは何もないと現代では考えられている[20]。なお、ロンシエールがルバスールと無関係だと思われる暗号文を「財宝の在りかが記された暗号文」として著書に掲載した理由は不明である[20]

そもそも、ルバスールと同時代の資料には、彼の暗号とされるもの、ネックレス、絞首台での演説などについての言及はない。現代の歴史家は、この伝説を20世紀に創作されたものだと考えている[21]

また、処刑当時の史料にはルバスールはナイトシャツを着用していたと書かれており、暗号文を隠しておくことは不可能だったと考えられている[17]

ルバスールの財宝伝説は同じくインド洋の海賊でモーリシャス島に財宝を隠したとされるベルナルダン・ナジョン・ド・レスタン(Bernardin Nageon de l'Estang)の財宝伝説と関連があるともいわれる[22]。しかし、暗号解読家のニック・ぺリング英語版は、ルバスールとレスタンの間には何の繋がりもないだろうと指摘している[23]

サヴィ夫人の話

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シェーシェル諸島のマヘ島に住むローズ・サヴィ(Rose Savy)は、ある日、露出した岩に謎の文字や符号や模様が描かれていること気づいた。ある物は、インドネシアの表意文字だと判明したが、他は謎だった。それらの発見をきっかけに更なる探索を進めたところ、目の図像の近くの地中から3人の遺体が発見された。彼らは耳に金のイヤリングをつけており、海賊だったと思われた。

これらの発見を聞き付けた島の公証人がサヴィのもとにやって来て、「私はインド洋に隠された財宝に関するいくつかの古文書を持っている。しかし、古文書だけでは財宝にはたどり着けない。おそらく、発見された岩に描かれた図像と古文書を組み合わせることで隠し財宝の謎が解けるハズだ」と話した[24]

公証人が持っていた古文書の具体的な内訳は、著者不明のフランス語の暗号文[14]、筆記体で書かれた2つの文、遺言書、判じ絵である[24]

こうして2人は協力して調査を進める関係になった。しかし、公証人が持っている古文書の1つ(著者不明のフランス語で書かれた暗号文)の解読にはグリモワールの『ソロモン王の鎖骨』が必要だということが分かった[24][14]。そこでサヴィはフランス国立図書館に勤めていたロンシエールの元に手紙を送って『ソロモン王の鎖骨』のコピーが見れないかと打診した[14]

この手紙がきっかけとなり前述の『Le Flibustier mysterieux』が執筆されたという[14]

財宝探し

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ルバスールの隠し財宝の候補地としては、モーリシャス島、レユニオン島、フリゲート島英語版ロドリゲス島、マヘ島、サント・マリー島などが挙げられている[25]

1947年、トレジャーハンターのレジナルド・クルーズウィルキンスはルバスールの謎に挑戦し始めた[19]。調査を続けた末、セーシェル諸島のマヘ島にあるベル・オンブレ湾に財宝が隠されていると結論付けた。クルーズウィルキンスは財宝に6ヤードのところまで迫っていたと考えていた[26]

レジナルドの死後、息子で歴史教師のジョン・クルーズウィルキンスがルバスールの財宝探しを引き継いでいる[27]。彼は、ある洞窟内(大きな岩で入り口が塞がれているため、水中のトンネルを通って行くしか到達方法がない)に財宝が隠されていると考えている[28]。2021年には、マヘ島の北部を探索した[19]

元アメリカ軍でトレジャーハンターのロバート・グラフ(Robert Graf)はマヘ島にてジョンの協力者という立場で財宝探しに参加した[29]。しかし、4年間の協力の末、2人は探索場所をめぐって関係が決裂した。グラフは財宝が納められた石造りの金庫室が島にあると考えて、そこに繋がる入り口を探していた。

また、レユニオン島でもトレジャーハンターによって探索が行われている[29]

カルチャーにおけるルバスール

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出典

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  1. ^ Woodard, Colin (2008) (英語). The Republic of Pirates: Being the True and Surprising Story of the Caribbean Pirates and the Man Who Brought Them Down. Orlando FL: Houghton Mifflin Harcourt. ISBN 0547415753. https://books.google.com/books?id=W5sIuoBrFwYC&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=false 
  2. ^ a b c d e f g https://www.goldenageofpiracy.org/pirates/pirate-rounders/olivier-levasseur.php
  3. ^ ドリン P252
  4. ^ ドリン P252-253
  5. ^ a b ジョンソン P248-249
  6. ^ ジョンソン P249
  7. ^ ジョンソン P249-250
  8. ^ a b c ジョンソン P250
  9. ^ a b c d コーディングリ P332
  10. ^ コーディングリ P332-333
  11. ^ a b コーディングリ P333
  12. ^ Pirate Ships | Nossa Senhora do Cabo”. goldenageofpiracy.org (2018年4月23日). 2024年3月9日閲覧。
  13. ^ a b Rogoziński, Jan (2000) (英語). Honor Among Thieves: Captain Kidd, Henry Every, and the Pirate Democracy in the Indian Ocean. Stackpole Books. p. 220. ISBN 978-0-8117-1529-4. https://books.google.co.jp/books?id=MUVD7KLa2FoC&dq=Honor+Among+Thieves:+Captain+Kidd,+Henry+Every,+and+the+Pirate+Democracy+in+the+Indian&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwik8qjvurmFAxXLJzQIHQzsCiAQ6AF6BAgEEAE 
  14. ^ a b c d e nickpelling (2023年12月10日). “Charles de la Ronciere's thoughts on Le Flibustier Mysterieux...” (英語). Cipher Mysteries. 2024年3月9日閲覧。
  15. ^ Brooks, Baylus C. (2018) (英語). Sailing East: West-Indian Pirates in Madagascar. Lulu.com. p. 332. ISBN 978-0-359-04792-5. https://books.google.co.jp/books?id=dGVyDwAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=Sailing+East:+West-Indian+Pirates+in+Madagascar&hl=ja&sa=X&redir_esc=y 
  16. ^ Pirates & Privateers - The Pirate Known as La Buse: Olivier Le Vasseur”. www.cindyvallar.com. 2024年3月9日閲覧。
  17. ^ a b Brooks, Baylus C. (2020年9月22日). “The True Story of La Buse's Grave on the Island of La Réunion”. 2024年4月5日閲覧。
  18. ^ The Levasseur Cryptogram: Reformatting Considerations”. www.gjbath.com. 2024年3月9日閲覧。
  19. ^ a b c d Abreu, Kristine De (2023年1月25日). “Exploration Mysteries: The Treasure of Olivier Levasseur”. Explorersweb. 2023年11月6日閲覧。
  20. ^ a b La Buse Cryptogram”. The Cipher Foundation. 7 August 2023閲覧。
  21. ^ Rennie, Neil (2013) (英語). Treasure Neverland: Real and Imaginary Pirates. Oxford: OUP Oxford. ISBN 9780191668654. https://books.google.com/books?id=VXUMAgAAQBAJ 3 July 2017閲覧。 
  22. ^ 『世界の財宝 未だ発見されざるもの』p.270
  23. ^ nickpelling (2015年12月26日). “I'm going to try to separate La Buse posts from Le Butin posts...” (英語). Cipher Mysteries. 2024年3月9日閲覧。
  24. ^ a b c 『世界の財宝 未だ発見されざるもの』p.267
  25. ^ 『世界の財宝 未だ発見されざるもの』p.269
  26. ^ 『謎学・失われた財宝』p.21
  27. ^ 海賊のお宝を追え!父子2代が取り組む「セーシェルのダ・ヴィンチ・コード」”. www.afpbb.com (2009年12月10日). 2023年11月6日閲覧。
  28. ^ The island with £100 million hidden” (英語). www.bbc.com. 2024年5月12日閲覧。
  29. ^ a b Treasure Quest” (英語). Smithsonian Magazine. 2024年3月9日閲覧。

参考文献

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  • エリック・ジェイ・ドリン(著)、吉野弘人(訳)、『海賊の栄枯盛哀 悪名高きキャプテンたちの物語』2020年8月、パンローリング株式会社
  • チャールズ・ジョンソン(著)、朝比奈一郎(訳)、『海賊列伝(上)』2012年2月、中公文庫
  • デイヴィッド・コーディングリ(編)、増田義郎(監修)、増田義郎・竹内和世(訳)、『図説 海賊大全』2000年11月、東洋書林
  • ロベール・シャルー(著)、川崎竹一(訳)『世界の財宝 未だ発見されざるもの』1964年、実業之日本社
  • マイケル・グラウシュコ(著)、大出健(訳)『謎学・失われた財宝』1994年、大日本絵画

関連項目

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外部リンク

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