オットー・マイヤー (軍人)
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オットー・マイヤー Otto Meyer | |
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1944年6月21日撮影。 | |
生誕 |
1912年12月23日 ドイツ帝国モルデニット |
死没 |
1944年8月28日(31歳没) フランスデュクレール |
所属組織 | 武装親衛隊 |
軍歴 | 1934年 - 1945年 |
最終階級 | 親衛隊中佐(Obersturmbannführer) |
オットー・マイヤー(Otto Meyer, 1912年12月23日 - 1944年8月28日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦中、武装親衛隊の隊員として戦い、柏葉付騎士鉄十字章の受章者となった[1]。最終階級は親衛隊中佐。
経歴
[編集]1912年、モルデニット(現在のシャアルビー)にて生を受ける。
1934年、親衛隊(SS)に入隊。1936年には将校を志願してSS士官学校に入校、卒業後はSS少尉としてSS特務隊の「ドイッチュラント」連隊(SS-Standarte "Deutschland")に配属された[1]。その後、中隊長としてポーランド、フランス、ギリシャ、バルカン半島、そしてロシアへの侵攻作戦に参加した[1]。1941年11月9日、SS少佐に昇進。1942年1月、ドイツ十字章金章を受章[1]。1943年初頭、フランスに展開していた第9SS装甲師団に移り、これに合わせて親衛隊中佐に昇進している[1]。1944年1月、第9SS装甲連隊長に任命され、これを率いて参加したタルノーポル攻撃における戦功により騎士鉄十字章を受章した[1]。1944年6月、第9師団はノルマンディーに展開する。この折に彼が率いた第9連隊は300両以上の連合国軍戦車を破壊した。
1944年8月28日、ファレーズにおける包囲戦(ファレーズ・ポケット)から脱出した直後、セーヌ川を渡っている最中に戦死した。9月、彼の騎士十字章に対する柏葉章が追贈された[1]。
受章
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- Fellgiebel, Walther-Peer (2000). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 (in German). Friedburg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 3-7909-0284-5.
- Krätschmer, Ernst-Günther (1999). Die Ritterkreuzträger der Waffen-SS (in German). Coburg, Germany: Nation Europa Verlag GmbH. ISBN 3-920677-43-9.
- Patzwall, Klaus D. and Scherzer, Veit (2001). Das Deutsche Kreuz 1941–1945 Geschichte und Inhaber Band II (in German). Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall (in German). ISBN 3-931533-45-X.
- Scherzer, Veit (2007). Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives (in German). Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2.