オッタヴィオ・イェンマ
Ottavio Jemma オッタヴィオ・イェンマ | |
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生年月日 | 1925年1月1日 |
没年月日 | 2015年12月25日(90歳没) |
国籍 | イタリア |
職業 | 脚本家 |
ジャンル | イタリア式コメディ |
活動期間 | 1951年 - |
活動内容 |
1951年 助監督 1959年 脚本家デビュー |
配偶者 | エンツァ・サンポ |
著名な家族 | 3児 |
公式サイト | Sito_di_Ottavio_Jemma |
主な作品 | |
『女性上位時代』 『死刑台のメロディ』 |
オッタヴィオ・イェンマ(Ottavio Jemma, 1925年1月1日 - 2015年12月25日)は、イタリアの脚本家である[1][2]。日本では英語読み的にオッタヴィオ・ジェンマ[3] とも表記される。
来歴・人物
[編集]1925年(大正14年)1月1日に生まれる[1]。生地に関しては公式ウェブサイトにも記述がない[1][4]。
第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)にかけて、プロ・デオ(現在のグイド・カルリ社会科学国際自由大学)で映画脚本を専攻し、ニーノ・ゲッリ(Nino Ghelli)に師事する[4]。同年、ルチアーノ・エンメルが監督した映画『スペイン広場の娘たち』で助監督を務め、同作は翌1952年(昭和27年)に公開された[4]。1959年(昭和34年)、ルチオ・フルチ監督の『盗賊たち』の脚本に参加、脚本家としてデビューする[1]。
満37歳を迎えた1962年(昭和37年)1月18日、エンツァ・サンポと結婚、のちに3児をもうける[1]。
1968年(昭和43年)、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレが監督した『女性上位時代』の脚本執筆に参加、以降14年間に、同監督による17作の脚本執筆に参加した[1]。1970年代には、カンパニーレのほか、サルヴァトーレ・サンペリ監督の『青い体験』(1973年)、『続・青い体験』(1974年)の脚本執筆に参加する[1]。
1982年(昭和57年)、カンパニーレが監督した『トリエステから来た女』『死ぬよりも美しいこと』『貧乏な金持ち』の脚本に参加して以降はカンパニーレ作品から離れ、1986年(昭和61年)にカンパニーレが亡くなる[5] のを挟んで、1988年(昭和63年)に公開されたマウリツィオ・ポンツィ監督の『大狐』で脚本執筆を再開するまで、6年間ブランクとなった[1]。
1991年(平成3年)には、サルヴァトーレ・サンペリによるヒット作の第3作『青い体験2000』の脚本に参加、満80歳を迎えた2005年(平成17年)には、ジョン・アーヴィン監督の『ミネハハ 秘密の森の少女たち』にオリジナル脚本を執筆、提供している[1]。2015年12月25日に亡くなるまで、執筆活動を継続していた。
フィルモグラフィ
[編集]一部[4] を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]。
1960年代
[編集]- 『スペイン広場の娘たち』 Le ragazze di piazza di Spagna : 監督ルチアーノ・エンメル、1952年 - 助監督 [4]
- 『盗賊たち』 I ladri : 監督ルチオ・フルチ、1959年 - 原案・脚本
- 『ルチアーノ、燃えた生涯』 Luciano, una vita bruciata : 監督ジャン・ヴィットリオ・バルディ、1962年 - 脚本
- 『夫はコンドミニアムで』 Un marito in condominio : 監督アンジェロ・ドリンゴ、1963年 - 脚本
- 『神と格闘する男ジャコッベ』 Giacobbe, l'uomo che lottò con Dio : 監督マルチェッロ・バルディ、1963年 - 脚本
- 『サウルとダビデ』 Saul e David : 監督マルチェッロ・バルディ、1964年 - 脚本
- 『聖書の裁き』 I grandi condottieri : 監督マルチェッロ・バルディ / フランシスコ・ペレス・ドルス、1965年 - 脚本
- 『女性と性と超男性』 La donna, il sesso e il superuomo, 英語題 Fantabulous Inc. : 監督セルジオ・スピーナ、1967年 - 脚本
- 『女性上位時代』 La matriarca, 英語題 The Libertine : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1968年 - 原案・脚本
- 『彼女と彼』 L'assoluto naturale : 監督マウロ・ボロニーニ、1969年 - 脚本
- 『見えない女』 La donna invisibile : 監督パオロ・スピオーラ、1969年 - 脚本
- 『銃殺!ナチスの長い五日間』 Dio è con noi, 英語題 The Fifth Day of Peace : 監督ジュリアーノ・モンタルド、1969年 - 脚本
- 『全裸でどこ行くの?』 Dove vai tutta nuda? : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1969年 - 脚本
1970年代
[編集]- 『どんな愛をこめて』 Con quale amore, con quanto amore : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1970年 - 脚本
- 『女にしっぽがあったころ』 Quando le donne avevano la coda, 英語題 When Women Had Tails : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1970年 - 脚本
- 『死刑台のメロディ』 Sacco e Vanzetti : 監督ジュリアーノ・モンタルド、1971年 - 脚本
- 『男+男+男の冒険』 Uno + uno + uno verso l'avventura : 監督ピーノ・パッサラックァ、1971年 - 脚本
- 『ラ・カランドリア』 La calandria : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1972年 - 脚本
- 『女がしっぽを失くしたころ』 Quando le donne persero la coda : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1972年 - 脚本
- 『上院議員は女性がお好き』(別題『エロティシスト』) All'onorevole piacciono le donne (Nonostante le apparenze... e purché la nazione non lo sappia) : 監督ルチオ・フルチ、1972年 - 脚本
- 『青い体験』 Malizia, 英語題 Malicious : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1973年 - 脚本
- La sbandata : 監督アルフレード・マルファッティ、1974年 - 脚本・台詞
- 『続・青い体験』 Peccato veniale : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1974年 - 脚本
- 『俺は父親になる』 Le farò da padre : 監督アルベルト・ラットゥアーダ、1974年 - 脚本
- 『スキャンダル』 Scandalo : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1976年 - 脚本
- 『大統領夫人』 La presidentessa : 監督ルチアーノ・サルチェ、1977年 - 脚本
- 『SEX発電』 Conviene far bene l'amore : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1977年 - 脚本
- 『ヒッチハイク』 Autostop rosso sangue, 英語題 Hitch-Hike : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1977年 - 脚本
- Gegè Bellavita : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1978年 - 脚本
- Il corpo della ragassa : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1979年 - 脚本
1980年代
[編集]- 『夫は休暇に愛人は街に』 La moglie in vacanza... l'amante in città : 監督セルジオ・マルティーノ、1980年 - 脚本
- 『男女が決裂するとき』 Quando la coppia scoppia : 監督ステーノ、1980年 - 脚本
- 『大泥棒』 Il ladrone : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1980年 - 脚本
- 『お手をどうぞ』 Qua la mano : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1980年 - 脚本
- 『巧みな手』 Manolesta : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1981年 - 脚本
- 『禁断のインモラル』(別題『禁断のインモラル/魔性に彩られた処女喪失の館』) Casta e pura : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1981年 - 脚本
- 『ケツとシャツ』 Culo e camicia : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1981年 - 原案・脚本
- 『死ぬよりも美しいこと』 Più bello di così si muore : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1982年 - 脚本
- 『トリエステから来た女』 La ragazza di Trieste : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1982年 - 脚本
- 『貧乏な金持ち』 Un povero ricco : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1983年 - 脚本 [4]
- 『大狐』 Il volpone : 監督マウリツィオ・ポンツィ、1988年 - 脚本
- Il professore - Diva : 監督ステーノ、テレビ映画、1989年 - 脚本
- Mortacci : 監督セルジオ・チッティ、1989年 - 脚本
1990年代以降
[編集]- 『青い体験2000』 Malizia 2000 : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1991年 - 脚本
- 『ピッツァ・ファミーリア』 Pazza famiglia : 監督エンリコ・モンテザーノ、テレビ映画、1995年 - 原案・脚本
- 『ピッツァ・ファミーリア2』 Pazza famiglia 2 : 監督エンリコ・モンテザーノ、テレビ映画、1996年 - 脚本
- Il popolo degli uccelli : 監督ロッコ・チェザレオ、1999年 - 脚本協力
- Piccolo mondo antico : 監督シルヴェリオ・ブラージ、テレビ映画、2001年 - 脚本
- Incompreso : 監督エンリコ・オルドイーニ、テレビ映画、2002年 - 脚本
- 『パル街の少年たち』 I ragazzi della via Pál : 監督マウリツィオ・ツァッカーロ、テレビ映画、2003年 - 脚本
- 『ミネハハ 秘密の森の少女たち』 The Fine Art of Love: Mine Ha-Ha : 監督ジョン・アーヴィン、2005年 - オリジナル脚本
参考文献
[編集]- 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445
関連事項
[編集]- イタリア式コメディ
- グイド・カルリ社会科学国際自由大学
- エンツァ・サンポ
- ジャン・ヴィットリオ・バルディ
- マルチェロ・バルディ
- セルジオ・スピーナ
- ジュリアーノ・モンタルド
- ピーノ・パッサラックァ
- マウリツィオ・ポンツィ
- セルジオ・チッティ
- エンリコ・モンテザーノ
- ロッコ・チェザレオ
- セルジオ・マルティーノ
- シルヴェリオ・ブラージ
- エンリコ・オルドイーニ
- マウリツィオ・ツァッカーロ
註
[編集]外部リンク
[編集]- Ottavio Jemma - IMDb
- Ottavio Jemma - オールムービー
- オッタヴィオ・ジェンマ - KINENOTE
- オッタヴィオ・ジェンマ - allcinema
- オッタヴィオ・ジェマ - ウェイバックマシン(2014年8月25日アーカイブ分) - movie-fan.jp
- オッタビオ・イェンマ - ぴあ映画生活
- Sito_di_Ottavio_Jemma - 公式ウェブサイト