アラゴルン
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アラゴルン二世(Aragorn II、第三紀2931年3月1日 - 第四紀120年3月1日)は、J・R・R・トールキンの中つ国を舞台とした小説、『指輪物語』の登場人物。
概要
[編集]北方王国アルノールの王統を継ぐ背が高く剣術に長けた野伏(レンジャー)であり、ドゥーネダインの16代族長。フロド・バギンズを窮地から救いだし、指輪の仲間の一人として同行した。指輪戦争では総大将として、ゴンドールとローハンの人々を率いた。指輪戦争後は、第26代アルノール王、第35代ゴンドール王、再統一王国の初代上級王となった。
父は北方のドゥーネダインの15代族長アラソルン2世、母はギルライン。
妻はエルロンドの娘でエルフのアルウェン・ウンドーミエル。息子にエルダリオン、他に名前不詳の娘が数人いる。
裂け谷におけるアラゴルン
[編集]2931年、アラゴルンは北方のドゥーネダインの族長アラソルン2世とギルラインとのあいだに生まれた。かれが2歳のときに、父アラソルンはオークによって殺され、アラゴルンは裂け谷のエルロンドの保護するところとなった。
人間とエルフの希望・エステル
[編集]アラゴルンがイシルドゥアの世継であることを隠すため、かれの素性は本人にも隠された。エルロンドはアラゴルンをシンダール語で「希望」を意味するエステル(Estel)と名付け、養育した。
アルウェンへの恋慕
[編集]2951年、20歳になったことを機にエルロンドより己の真の名を明かされ、イシルドゥアの世継であることを告げられる。そして折れたナルシルと、バラヒアの指輪を渡された。しかしアンヌーミナスの王笏は引き続きエルロンドが預かったままであった。同年、ロスローリエンから戻ったアルウェンと裂け谷で出会い、愛するようになった。この時から北方の野伏の首領として、荒野をさまよう者となった。
馳夫の誕生
[編集]2956年、魔法使いのガンダルフと知り合い、友人となる。ガンダルフの助言により、アラゴルンと北方の野伏たちはホビットの住むホビット庄を守るようになった。ホビット庄の庄境の外側の人々より馳夫(Strider)と呼ばれるようになる。
星の鷲・ソロンギル
[編集]2957年から2980年にかけて、アラゴルンは南方に赴き、西方諸国の士気を上げ、サウロンとその同盟国の勢力に対抗するべく、ローハンのセンゲル王とゴンドールの執政エクセリオン2世に戦の大将として仕えた。身分を隠していたが、ローハンとゴンドールの人々から親愛を込め、シンダール語で「星の鷲」を意味する、ソロンギル(Thorongil)と呼ばれた。
2980年、ゴンドールの船隊を率いて、ウンバールの海賊を攻め、多くの船を焼き、かれらの支配者を殺した。しかしアラゴルンはこの成果をもってゴンドールを去ることを決め、仲間達を困惑させた。
アルウェンとの婚約
[編集]2980年、長年の冒険の疲れを癒すためにロスローリエンを訪れ、そこでアルウェンと再会。ケリン・アムロスの丘で二人は婚約をした。婚約の印として、アラゴルンは家宝のバラヒアの指輪をアルウェンに渡した。エルロンドは、のちに裂け谷を訪れたアラゴルンに「アルノールとゴンドール両国の王となることが、アルウェンを花嫁にする条件である」と告げた。
ゴクリの探索
[編集]3001年、ガンダルフの要望に応じてロヴァニオンにゴクリを探したが見つけられず、3009年にふたたびゴクリの探索を開始した。
大いなる年3018年
[編集]2月1日、アラゴルンはモルドールに近い死者の沼でゴクリを捕らえ、3月21日に闇の森の王スランドゥイルにゴクリを預けた。ガンダルフによる長い取調べの結果、ビルボがフロドに譲った指輪こそが、冥王サウロンの作った一つの指輪であることが明らかになった。
9月30日、アラゴルンはブリー村の躍る小馬亭で、裂け谷へと向かうフロドの一行と出会った。この時はしだ家のビルに、長すね彦(Longshanks)とも呼ばれた。この日から指輪戦争でのかれの役割が始まる。この年アラゴルンは87歳。ヌーメノール人の末裔として、人生の盛時を迎えようとしていた。
エルロンドの会議
[編集]10月20日、ナズグールの妨害に遭いながらも、フロドとその仲間を裂け谷へと送り届けた。
10月25日。エルロンドの会議が開かれ、各地に住む自由の民の代表たちの前で、一つの指輪の来歴が明らかにされ、今後の処遇が検討された。「一つの指輪をモルドールの火の山へと運び破壊するべし」とエルロンドは告げた。指輪の運び手としてビルボとフロドが名乗りを上げ、エルロンドはフロドを運び手に選ぶ。さらにフロドの供の者として、サムの同行を許した。また、アラゴルンがイシルドゥアの世継であることが、エルフ以外の者達に明らかにされた。折れたる剣「ナルシル」は鍛えなおされ、「アンドゥリル」と改名された。
旅の仲間
[編集]12月18日、エルロンドはフロドとともに旅立つ「指輪隊」の総数を、ナズグールが9人であることから9人と定めた。フロドとサムに加えてガンダルフと、エルフの代表としてレゴラス、ドワーフの代表としてギムリ、人間の代表としてアラゴルンを選んだ。さらにミナス・ティリスへ帰るために同じ道を行くボロミアも選ばれた。エルロンドは、指輪隊の残りの2人について裂け谷の家中から選ぶことも考えていたが、メリーとピピンの立候補があり、ガンダルフの推薦もあってそれを受け入れた。
12月25日、指輪隊は旅立つ。
大いなる年3019年
[編集]1月15日、一行は霧降り山脈を越える道としてモリアの通過を選び、道を探し当てることが出来たが、ガンダルフはバルログと戦って奈落へと落ちて行った。そのためここからの道はアラゴルンを指導者として進むことになった。モリアを通り抜けた一行はロスローリエンで旅の疲れを癒した。
2月16日、一行はローリエンを出立する。一行のそれぞれに森の奥方ガラドリエルから贈り物が与えられ、アラゴルンはアンドゥリルの剣を納める美しい鞘を受け取り、またアルウェンの持ち物であったエルフの石を託された。三艘の舟を与えられた一行は分乗して大河アンドゥインを下る。
2月26日、一行はパレス・ガレンで野営をする。ボロミアは指輪の誘惑に負け、フロドからこれを奪おうとした。フロドはこれをきっかけに仲間とは別に行動することを選んだ。サムはこれに気づき、フロドに同行する事を決めた。また、メリーとピピンが魔法使いサルマンが派遣したウルク=ハイの部隊に捕らえられ、これを救おうとしたボロミアは命を落とす。残されたアラゴルン、レゴラス、ギムリはボロミアを舟に乗せ水葬にて弔った。アラゴルンは、フロドとサムの運命はかれの手から離れたものと考え、メリーとピピンを救出するためにウルク=ハイの部隊を徒歩で追跡した。
2月30日、不眠不休の45リーグにも及ぶ追跡ののち、アラゴルンはローハンの野でエオメルとかれの部隊に出会った。エオメルはアラゴルンとその仲間に二頭の馬、ハスフェルとアロドを与えた。追跡を続けたアラゴルンはエオメルたちに討たれたオークの死体の山を見つけた。
3月1日、アラゴルンはメリーとピピンがファンゴルンの森へと逃げ込んだ痕跡を見つけた。痕跡をたどっていき、アラゴルンは奈落からよみがえったガンダルフに再会した。
3月2日、ガンダルフとその仲間はメドゥセルドに到着し、サルマンの悪しき魔法に捕らわれていたセオデン王を解放した。
3月3日、アラゴルンはセオデン王率いるローハン軍とともに、サルマンがアイゼンガルドから送り出した軍勢を、ヘルム峡谷で迎え撃った。
3月4日、明け方、峡谷の最深部まで攻め込まれる中、アラゴルンはセオデン王と共に絶望的な突撃を試みる。同時にガンダルフがエルケンブランド率いる援軍と共にあらわれ、アイゼンガルド軍は敗走した。逃亡した敵軍は、ファンゴルンの森から南下してきたフオルンにより全滅した。
3月5日、ガンダルフは旅の仲間の三人と、セオデン王、エオメルを連れて、アイゼンガルドを訪れた。ファンゴルンの森のエントに助けられていたメリーとピピンと再会、籠城するサルマンと対話。蛇の舌は高所からオルサンクのパランティーアを投げ捨てた。その夜、ピピンはパランティーアをのぞき込んでサウロンの尋問を受けるが、なにも明かさなかった。パランティーアはアラゴルンが所有することになった。ガンダルフはピピンを連れてミナス・ティリスへと向かい、残った者たちはヘルム峡谷へと向かった。
ハルバラドに率いられた北方の野伏たちが、エルロンドの二人の息子、エルラダンとエルロヒアと共にアラゴルンに合流した。アラゴルンはパランティーアを通じてサウロンに自らの存在を誇示し、挑戦した。これにより、指輪所持者に対するモルドール軍の監視の目をかれに向けさせた。
3月8日、アラゴルンとレゴラスとギムリ、ドゥーネダインとエルロンドの息子たちは死者の道に入り、真夜中にエレヒの石にたどり着いた。ここでアラゴルンはイシルドゥアの世継として死者たちを召集し、援軍とした。この死者たちはイシルドゥアとの約束をたがえたために、イシルドゥアの呪いをうけてこの世に留まっていた者たちだった。
3月13日、アラゴルンの一行はペラルギアに到着した。アラゴルンは死者を召集すると、海賊船に乗りこませ、船を奪った。この功績によって死者は解放された。
3月15日、ペラルギアで奪った海賊船に乗り、ペレンノール野の合戦にアラゴルンは合流する。激戦の末、敵は打ち倒された。アラゴルンはミナス・ティリスへの入城を避けていたが、ガンダルフに請われてファラミア、エオウィン、メリーの治療のため、施療院に入った。かれは三人を回復させた後も、夜通しで他の者達の治療を行った。
3月16日、ミナス・ティリスに王が帰還したとの噂が広がるが、アラゴルンは身分を明かさず、場外に野営した。かれはイムラヒル大公とエオメル王を招き、次の作戦を協議した。かれらはガンダルフの助言に従い、指輪所持者フロドから冥王の関心をそらすために行軍することに決めた。
3月18日、アラゴルンは軍勢を率いてモルドールの黒門、モランノンへと進軍を開始した。
3月23日、恐怖に耐えられないものはあとに残ることを許し、カイア・アンドロスに向かわせた。
3月25日、黒門の前で、敵の軍使であるサウロンの口と交渉する。モランノンの戦いが行われた。その最中にフロドが使命を果たして、一つの指輪はオロドルインに葬られた。サウロンは完全に滅び、モルドール軍は潰走した。
5月1日、ミナス・ティリスの門の前で、ファラミアはその住人にアラゴルンを王として受け入れるかを問い、アラゴルンは受け入れられた。王としての名はシンダール語で「エルフの石」を意味するエレッサール(Elessar)であり、王家の名はシンダール語で「馳夫」を意味するテルコンタール(Telcontar)であった。
夏至の前日、エルロンドとアルウェンはゴンドールに到着。アラゴルンはエルロンドからアンヌーミナスの王笏を手渡された。
夏至の日、アラゴルンとアルウェンの結婚。
7月19日、セオデン王の葬列がゴンドールを発つ。アラゴルンとアルウェン、仲間も同行した。
8月14日、セオデン王の葬儀と追悼会のあと、アラゴルンとその仲間、エルロンドと裂け谷の一行は旅立った。アルウェンはエドラスに留まり、これより二度とエルロンドと会うことはなかった。
8月22日、アイゼンガルドにて、アラゴルンはエルロンドと裂け谷の一行、指輪の仲間と分かれた。
その後のアラゴルン
[編集]アラゴルンはアルノールとゴンドールの再統一された王国の王として即位し、アルノールの首都アンヌーミナスを再建した。かれは120年の治世のあと、210歳でみずからの意思でこの世を去った。
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