エリシャ・ライス
エリシャ・エスティ・ライス(イリシャ・[1]、エライシャ・[2]、英: Elisha Esty Rice[3] [ɪˈlaɪʃə]、1820年5月7日[4][5] - 1885年1月11日[4][1])は幕末の箱館に来航したアメリカ合衆国の外交官である。初代函館領事(箱館領事)を務めた。
経歴・人物
[編集]メイン州の生まれ。安政4年(1857年)、貿易事務官としてタウンゼント・ハリスが下田に来航した8ヶ月後に突然、捕鯨船であるアンテリヨー号に乗って箱館に来航した[6]。アンテリヨー号に乗船していた人物はライスの他に船長であるトーカという名がいたという記録がある[6]。
状況が把握できなかった箱館奉行は、来日した翌日にジャガイモ2俵と梨2箱を補給斡旋にあたった[6]。ライスは返礼として、小道具つき拳銃一式を箱館奉行への贈答品として差し出した[6]。江戸幕府は当時下田の外国奉行であった井上清直とハリス総領事との対話書を箱館奉行に送付した[6]。また返礼として下田から箱館への書簡が届いた[6]。
これにより双方の意思疎通が可能となり、老中・堀田正睦は箱館に仮止宿しているライスの処遇により通達書を箱館奉行に送付した[6]。この明確な決定と指示で公式にライスが箱館に永住する事が保証された[6]。ライスは来航から約8年経った文久3年12月10日(1865年1月18日)[7]に初代箱館駐在アメリカ領事に就任し[6]、明治維新後の明治4年(1871年)に辞任するまで搾乳法や羊の飼育法、西洋式の洗濯法を日本人に伝えた[8]。また、当時はまだ珍しかった肉食や身の回りの世話をする女性の要求などで一挙一動は注目を集め、領事以外にも兄弟や息子と共に商事を営んだ[9]。
脚注
[編集]- ^ a b 葉済保裕、飯倉章. “イリシャ・E・ライスに関する幕末英文史料”. 城西国際大学. 2023年6月8日閲覧。
- ^ 山田耕太. “開港場新潟に来た外国人居留者”. 敬和学園大学人文社会科学研究所. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “Poole Summary”. Antony Maitland's Genealogy Site. 2023年6月7日閲覧。
- ^ a b “Rice Genealogy”. Antony Maitland's Genealogy Site. 2023年6月8日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『ライス』 - コトバンク によれば、1822年。
- ^ a b c d e f g h i 中野昌彦. “エリシャ・E・ライス(Elisha E. Rice)の派遣”. 日米交流. 2019年3月1日閲覧。
- ^ 出典では「元治(げんじ)元年領事となり」(原文ママ)とされているが、在札幌米国総領事館の公開情報によると西暦1865年1月18日なので、和暦では元治元年ではなく前年の文久3年となる。西暦の年月日に対して、暦の違いを考慮せず機械的に元号を付記したものと推定される。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 朝日日本歴史人物事典