エミール・シェフネッケル
エミール・シェフネッケル Émile Schuffenecker | |
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アトリエでの自画像(1889年) | |
生誕 |
1851年12月8日 フランス,Fresne-Saint-Mamès |
死没 |
1934年7月31日 フランス,パリ |
運動・動向 | ポスト印象派 |
クロード=エミール・シェフネッケル(Claude-Émile Schuffenecker、1851年12月8日 - 1934年7月31日)は、フランスのポスト印象派の画家、美術教師、美術品収集家。
ゴーギャンとも親交があり、また、ゴッホ作品の最初の収集家のうちのひとりであった。1889年には、カフェ・ヴォルピーニでの作品展示の実現に助力した。シェフネッケルの死後、彼自身の作品はあまり高く評価されてはおらず、さらに1920年代後半からは、ゴッホやセザンヌらの作品に加筆・修整を行った、又は贋作を制作したのではないかと疑われ、非難されることもあった。これらの疑惑については未だ論争があり、はっきりとした結論は出ていない。
生涯
[編集]フランス、オート=ソーヌ県に生まれる。父はアルザス出身。父はエミールが2歳のときに亡くなる。未亡人となった母と弟とともに、パリにほど近いムードンに移る。ムードンには母の親類が住んでおり、母はそこで洗濯婦の職に就く。その後、母方のおば夫妻の手で育てられパリのラ・サール会で教育を受けたのち、おじの事業を手伝うようになる。
1871年から株式取引業者で働きはじめ、1872年にゴーギャンと知り合った。余暇の時間に、ポール・ボードリーとカロリュス=デュランから、絵のレッスンを受けた。1874年にパリのサロンに初めて出展した。1880年からゴーギャンとともに、美術学校アカデミー・コラロッシ(Académie Colarossi)で学んだ。1882年の株式市場の暴落で、ゴーギャンとともに株の仕事を失ない、高校の美術教師となった。ゴーギャンは1887年11月頃、一時シェフネッケル家に寄宿していたことがあり、ゴーギャンによる「シェフネッケル家」という絵画が残されている。エミール・ベルナールとも親交があった。