エミリアーノ・フルート
AAA級コロンバス・クリッパーズ時代(2007年) | |
基本情報 | |
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国籍 | コロンビア |
出身地 | ボリーバル県カルタヘナ |
生年月日 | 1984年6月6日(40歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 230 lb =約104.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 アマチュア・フリーエージェントとしてシアトル・マリナーズと契約 |
初出場 | 2006年5月14日 |
最終出場 | 2006年9月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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エミリアーノ・リカルド・フルート(Emiliano Ricardo Fruto、1984年6月6日 - )は、コロンビアのボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入りとマリナーズ時代
[編集]2000年にシアトル・マリナーズと契約してプロ入り。2001年は開幕を傘下のルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズで迎えた。この年は、12試合に先発登板し、5勝3敗・防御率5.84・51奪三振を記録した[1]。
2002年は開幕をA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズで迎えた。この年は、33試合(13試合で先発)に登板し、6勝6敗1セーブ・防御率3.55・99奪三振を記録した[1]。
2003年は開幕を、A+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズで迎えた。ここでは、42試合(4試合で先発)に登板し、7勝8敗7セーブ・防御率3.78・83奪三振を記録した[1]。その後、AAA級タコマ・レイニアーズに昇格した。ここでは、1試合に登板した[1]。
2004年は開幕をAA級サンアントニオ・ミッションズで迎えた。この年は、43試合(1試合で先発)に登板し、3勝3敗1セーブ・防御率5.66・56奪三振を記録した[1]。
2005年は前年同様に開幕をAA級サンアントニオで迎えた。ここでは、40試合に登板し、2勝3敗12セーブ・防御率2.56・63奪三振を記録した[1]。その後、AAA級タコマに昇格した。ここでは、9試合に登板し、1勝2敗・防御率13.09・12奪三振を記録した[1]。
2006年は開幕をAAA級タコマで迎えた。5月14日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビューを果たした。この年は、メジャーでは、23試合に登板し、2勝2敗1セーブ・防御率5.50・34奪三振を記録した。マイナーでは、AAA級タコマで28試合に登板し、1勝3敗10セーブ・防御率3.18・55奪三振を記録した[1]。
ナショナルズ傘下時代
[編集]2006年12月13日にホセ・ビドロとのトレードで、クリス・スネリングと共にワシントン・ナショナルズへ移籍した。
2007年は開幕を傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで迎えた。ここでは、18試合(16試合で先発)登板し、3勝9敗・防御率5.26・68奪三振を記録した[1]。
ダイヤモンドバックス傘下時代
[編集]2007年8月20日にクリス・カーターとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した(後日指名選手でウィリー・モー・ペーニャがナショナルズへ移籍している)。移籍後は、傘下のAAA級ツーソン・サイドワインダーズ(現:リノ・エーシズ)へ異動した。ここでは、6試合に登板し、0勝1敗・防御率2.45・14奪三振を記録した[1]。
2008年は開幕をAAA級ツーソンで迎えた。ここでは、49試合(4試合で先発)登板し、6勝6敗2セーブ・防御率5.2・102奪三振を記録した[1]。オフにFAとなった。
独立リーグ時代
[編集]2009年1月にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。開幕前に解雇される。その後、ゴールデンベースボールリーグのユマ・スコーピオンズ(現:ユマ・デザート・ラッツ)と契約を結んだ。このチームには、後の第3回WBC予選のコロンビア代表に選出される事になるクリスチャン・メンドーサ、ロナルド・ラミレス、イェシド・サラザール、イスマエル・カストロ、ディオベル・アビラらコロンビア人選手が多く所属していた[2]。ここでは、16試合に登板し、0勝2敗11セーブ・防御率2.00・23奪三振を記録した。
2009年シーズン途中に同リーグのツーソン・トロズへ移籍した。ここでは、19試合に登板し、0勝2敗10セーブ・防御率4.58・31奪三振を記録した[1]。
2010年は、41試合に登板し、5勝4敗17セーブ・防御率2.15・72奪三振を記録した[1]。
2011年は、アメリカン・アソシエーションのスーシティ・エクスプローラーズと契約を結んだ。6月9日に退団した。
メキシカンリーグ時代
[編集]2011年シーズン途中にメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンと契約を結んだ[3]。ここでは、20試合に登板し、防御率4.03・31奪三振を記録した[1]。その後。退団した。
独立リーグ時代
[編集]2011年7月にスーシティ・エクスプローラーズに復帰した。
2012年は、どこのチームにも所属しなかった。
2013年に、アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結んだ。この年は、33試合に登板し、1勝3敗・防御率3.58・46奪三振を記録した[1]。
2014年は、6試合に登板し、0勝0敗、防御率8.10の成績だった[1]。この年限りで現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | SEA | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 1 | .500 | 165 | 36.0 | 34 | 4 | 24 | 1 | 2 | 34 | 4 | 0 | 24 | 22 | 5.50 | 1.61 |
MLB:1年 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 1 | .500 | 165 | 36.0 | 34 | 4 | 24 | 1 | 2 | 34 | 4 | 0 | 24 | 22 | 5.50 | 1.61 |
背番号
[編集]- 53 (2006年)