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エドガー・ムーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドガー・ムーン
Edgar Moon
エドガー・ムーン
基本情報
フルネーム Edgar Forest Moon
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・クイーンズランド州フォレストヒル
生年月日 (1904-12-03) 1904年12月3日
没年月日 (1976-05-26) 1976年5月26日(71歳没)
死没地 同・ブリスベン
利き手
バックハンド 片手打ち
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1930)
全仏 ベスト8(1930)
全英 4回戦(1928)
全米 1回戦(1928)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1932)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 優勝(1929・34)
全米 準優勝(1928)
優勝回数 2(豪2)

エドガー・ムーンEdgar Moon, 1904年12月3日 - 1976年5月26日)は、オーストラリアクイーンズランド州フォレストヒル出身の男子テニス選手。1930年全豪選手権男子シングルス優勝者で、男子ダブルスで1932年、混合ダブルスでも1929年1934年に優勝し、同選手権で4つのタイトルを獲得した選手である。「ガー・ムーン」(Gar Moon)と呼ばれることも多い。彼のテニスは、強力なグラウンド・ストロークが大きな武器で、オールラウンド・プレーヤーのスタイルであった。

来歴

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ムーンは1926年全豪選手権1回戦で、当時のオーストラリア男子テニス界の第一人者だったジェラルド・パターソンを破って注目を集めた。オーストラリアの新聞は、彼の登場を「新しいスターの誕生-それはムーンだ!」(原文:New star is born - it's a Moon!)と称賛した。それから4年後の1930年、ムーンは全豪選手権の男子シングルス決勝でハリー・ホップマンを 6-3, 6-1, 6-3 で破り、大会初優勝を飾った。全豪選手権で優勝した年、ムーンは男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手に選ばれ、起用された4試合すべてに勝利した。この後、ムーンは唯一の出場となった全仏選手権でも好成績を収め、ベスト8進出を果たす。第5シードのムーンは、準々決勝でイタリアウンベルト・デ・モルプルゴに 2-6, 2-6, 6-4, 6-2, 3-6 で敗れた。ウィンブルドン選手権では、第8シードのムーンは1回戦敗退に終わった。

全豪男子シングルス優勝から2年後、1932年にムーンは男子ダブルスでジャック・クロフォードとペアを組み、ホップマンとジェラルド・パターソンの組を 12-10, 6-3, 4-6, 6-4 で破って優勝した。それまで、ムーンは男子ダブルスで1928年1929年に2度の準優勝があった。しかし、1933年の男子ダブルス決勝で、ムーンとクロフォードはアメリカペアのエルスワース・バインズキース・グレッドヒル組にタイトルを明け渡した。混合ダブルスでは、ムーンは1929年ダフネ・アクハースト1934年ジョーン・ハーティガンと組んで2勝を挙げている。1931年以後のムーンは、シングルスではベスト8止まりの成績で、1936年の準々決勝でクロフォードに敗れた試合を最後に現役を引退した。

ムーンの他の成績は、ウィンブルドン選手権では1928年の4回戦進出が自己最高成績であった。全米選手権にも1928年の1度出場があり、シングルスは1回戦敗退に終わったが、混合ダブルスでエディット・クロスと組んで準優勝した。ムーンとクロスは、混合ダブルス決勝でジョン・ホークスヘレン・ウィルス組に 1-6, 3-6 で敗れた。“月のような新しいスター”と呼ばれたムーンの、選手引退後の様子はあまり知られていないが、1976年5月26日に71歳で死去した。

主な成績

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  • 全豪選手権 男子シングルス:1勝(1930年)/男子ダブルス:1勝(1932年)/混合ダブルス:2勝(1929年・1934年) [男子ダブルス準優勝3度:1928年・1929年・1933年]
  • 全仏選手権 男子シングルス:ベスト8(1930年)
  • 全米選手権 混合ダブルス:準優勝(1928年)

参考文献

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外部リンク

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