エドゥアール・デュビュフ
エドゥアール・デュビュフ Édouard Dubufe | |
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生誕 |
1819年3月31日 フランス、パリ |
死没 |
1883年8月11日 フランス、ヴェルサイユ |
エドゥアール・デュビュフ(Édouard-Louis Dubufe、1819年3月31日 - 1883年8月11日)はフランスの画家である。人気のある肖像画家となった。
略歴
[編集]パリで肖像画家のクロード=マリー・デュビュフ(Claude-Marie Dubufe: 1789-1864) の息子に生まれた。父親から絵を学んだ後、1834年からパリ国立高等美術学校に入学し、ポール・ドラローシュに学んだ[1]。1839年にはパリのサロンで3等のメダルを受賞した。1845年ころまでは歴史画や宗教画を出展したが、画家として成功は得られなかった。1842年にピアニスト、作曲家のピエール・ジメルマンの娘で、彫金家のジュリエット・ジメルマン(Juliette Zimmermann: 1819-1855)と結婚した。後に妻の妹は作曲家のシャルル・グノーと結婚し、ドゥブフとグノーは生涯の友人となった[2]。
1848年のフランス革命の年から1852年までイギリスに滞在し、イギリスの肖像画のスタイルを吸収した。1850年ころから肖像画に転じた。1852年にイタリアも訪れた後、フランスに帰国した。1852年にフランス第二帝政が成立すると、フランツ・ヴィンターハルターと並んで、人気のある肖像画家になり、1853年にナポレオン3世の皇后、ウジェニー・ド・モンティジョの肖像画を描くなど、貴族の女性や上級軍人の肖像画を描いた。同じころパリの展覧会で知り合った画家のローザ・ボヌールやオーギュスト・ボヌール、作家のアレクサンドル・デュマ・フィスなどの肖像画も描いている。
1857年にナポレオン3世の注文で、クリミア戦争のパリ講和会議の各国の参加者を描いた幅5m、高さ3mの大作を制作した.[1]。
レジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。
息子のギョーム・デュビュフ(Guillaume Édouard Marie Dubufe: 1853-1909)も画家になった。
作品
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- Catalogue des oeuvres de peintures, aquarelles, dessins et sculptures exposés au Musée des Beaux-Arts de Lisieux, 1925 6 édizioni.
- Dictionnaire Bénézit.
- Catalogue de l'exposition organisée par le Musée de Lisieux à l'Eglise St Jacques en 1983.
- B Foucart, Le Renouveau de la Peinture Religieuse
- Emmanuel Bréon, Claude-Marie, Edouard et Guillaume Dubufe, Portraits d'un siècle d'élégance parisienne. Madrid, 1988.
- Emmanuel Bréon, Revue du Louvre, n°. 2 p.120 1984.
- Adhémar Sterling, t. 2, n°. 795, p. 24, pl CCLXXXI. Parigi, 1959.
- Gendre, Catalogue du Musée Lambinet, 1997.
- Catalogue musée Lambinet, p. 48, n.34. 2005.
- La Revue du Louvre,p.121. 1984.
- Catalogue de l'exposition du Musée des Ursulines de Mâcon, 1999.
- Marielle Blaise Kroïchvili, Amandine Borgeot, Florence Goyon, Marie Lapalus, Françoise Rouge, Nane Tissot, 100 peintures des collections du Musée des Ursulines
- D. Alaux, Catalogue des peintures du musée de Bordeaux, p.77, n°405. 1910.
- J. Vergnet-Ruiz, M. Laclotte, Petits et grands Musées de France, p.234. Parigi 1962
- Catalogue des peintures du LouvreI, École française, p.149. Parigi, 1972.