コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エウフェミオ・サパタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エウフェミオ・サパタ・サラサール
Eufemio Zapata Salazar
エウフェミオ・サパタ
生年 1873年
生地 メキシコ モレロス州 ヴィラ・デ・アヤラ (現 Cd. アヤラ)
没年 1917年6月18日
没地 メキシコの旗 メキシコ モレロス州 クアウトラ
思想 無政府主義
活動 メキシコ革命
所属 サパタ派
テンプレートを表示

エウフェミオ・サパタ・サラサール (Eufemio Zapata Salazar、1873年 - 1917年6月18日) はメキシコ革命家で、同じくメキシコの革命家であったエミリアーノ・サパタの兄。女たらしで、マッチョで、大酒飲みとして知られていた[1]

1917年6月18日、サパタ派の小グループに所属していたシドロニオ・"狂人 (el Loco)"・カマチョにより殺された[2]。エウフェミオが泥酔したときに、老人[3]を理由なく殴り、侮辱したことが理由とされる[2]。クアウトラにおいて、カマチョはエウフェミオを尾行した後に、腹部を銃撃した。

自らの死を確信したとき、エウフェミオはカマチョに、苦しまず早く死ねるよう止めをさせと頼んだ。カマチョは次のように答えた。

あんたはたくさんの人たちをとても苦しめてきたんだろう。もう少し生きていろ。その間、あんたもその苦しみを知るだろうさ

そしてカマチョはエウフェミオを顔から蟻塚に投げ入れ、彼の馬を奪った。エミリアーノが復讐を求めることがわかっていたカマチョは、身の安全のためにサパタの敵であったカランサ派へと合流した[2]

左がエウフェミオ。右は弟のエミリアーノ・サパタ

映画

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Newell (345/3503)
  2. ^ a b c Newell (2637/3503)
  3. ^ カマチョの父とも伝えられている。

出典

[編集]
  • Frank Mclynn『Villa and Zapata: A History of the Mexican Revolution
  • John Steinbeck『Viva Zapata!』 (小説版)
  • Mexican Revolution of 1910 www.latinoartcommunity.org より
  • Eufemio Zapata Salazar, 1873 - 1917 (スペイン語による人物紹介) Bibliotecas Virtuales de México より
  • (英語) Zapata of Mexico (English Edition) [Kindle版]. ChristieBooks; 2版 (2012/12/3). ISBN 9780904564242