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エイドリアン・ヒース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エイドリアン・ヒース
2009年のヒース
名前
本名 エイドリアン・ポール・ヒース
愛称 インチー(Inchy)
ラテン文字 Adrian Heath
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1961-01-11) 1961年1月11日(63歳)
出身地 ニューカッスル=アンダー=ライム
身長 168cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW/MF(AMF)
ユース
イングランドの旗 ストーク・シティ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1982 イングランドの旗 ストーク・シティ 95 (16)
1982-1988 イングランドの旗 エヴァートン 226 (71)
1988-1989 スペインの旗 エスパニョール 24 (1)
1989-1990 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 9 (0)
1990-1992 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 75 (4)
1992 イングランドの旗 ストーク・シティ 6 (0)
1992-1995 イングランドの旗 バーンリー 115 (28)
1995-1996 イングランドの旗 シェフィールド・ユナイテッド 4 (0)
1996-1997 イングランドの旗 バーンリー 5 (0)
代表歴
1981-1982  イングランド U-21 8 (3)
監督歴
1996-1997 イングランドの旗 バーンリー(選手兼任)
1999 イングランドの旗 シェフィールド・ユナイテッド
2005 イングランドの旗 コヴェントリー・シティ(暫定)
2007 イングランドの旗 コヴェントリー・シティ(暫定)
2008-2010 アメリカ合衆国の旗 オースティン・アステックス
2011-2016 アメリカ合衆国の旗 オーランド・シティ
2017- アメリカ合衆国の旗 ミネソタ・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エイドリアン・ポール・ヒース英語: Adrian Paul Heath1961年1月11日 - )は、イングランドの元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはFWもしくはMF

クラブ歴

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スタッフォードシャーニューカッスル=アンダー=ライムに生まれた。地元のリーグでプレーしていた所からストーク・シティFCに加入[1]、17歳でプロ契約を締結してハワード・ケンドール選手兼任監督の下でリザーブチームでプレーしていた。彼の活躍によってクラブはザ・セントラル・リーグで2位、そしてクラブの年間最優秀若手選手に輝いた。1979-80シーズンにはトップチームでレギュラーを掴み、昇格組であったトップチームを残留に導いた[1]。翌シーズンも41試合、さらにその次のシーズンも半年の在籍で20試合に出場した[1]

彼のスピードは国内で最も欲しがられる才能となった中で、1982年1月にストーク・シティのリッチー・バーカー監督はハワード・ケンドール率いるエヴァートンFCへの移籍を承認、エヴァートンは彼をクラブ史上最高値の75万ポンドで獲得した[1]。1982-83シーズンでは18得点を記録しチーム内の得点王となった。1983-84シーズンはEFLカップ決勝でオックスフォード・ユナイテッドFCケヴィン・ブロックのバックパスを引っ掛けてアウェーゴールを奪う活躍を見せたがクラブは準優勝に終わった。翌1984-85シーズンは怪我もあって17試合出場に止まったが、クラブはリーグ優勝を記録した。また、1986-87シーズンにも優勝を記録している。

1988年11月にリーガ・エスパニョーラRCDエスパニョールに移籍したが、1シーズンで退団した。

1989年夏にアストン・ヴィラFCに移籍しイングランドに復帰した。

1990年にマンチェスター・シティFCに移籍。当時の監督はハワード・ケンドールで、エヴァートン時代の教え子を集めており、彼にとっては三度目の指導となった[2]。1990-91シーズンはナイアル・クインとコンビを組んでおり、大柄で空中戦を制するクインと小柄ですばしっこい彼とのコンビで33試合のスターティングメンバーを飾った。しかしながら彼の得点だけは伸びず、僅かに1得点であった[3]。その後も得点はなかなか記録出来ず、1991年11月になって46試合ぶりの得点、それも2得点を記録した[4][5]。しかしこの1991-92シーズンの間に若手のマイク・シェロンが頭角を現し、ポジションを失っていった。

1992年3月に古巣のストーク・シティに復帰し、3部に落ちていたクラブで6試合に出場しプレーオフの末に昇格を決めた[1]

同年夏にバーンリーFCに移籍、1994年の1部昇格に貢献した。

1995-96シーズンにシェフィールド・ユナイテッドFCに加入したが、シーズン中に再びバーンリーに移籍、1996-97シーズンで引退した。

代表歴

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U-21代表としてUEFA U-21欧州選手権1982に出場した。

指導歴

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英国

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1996年3月に選手兼任監督としてバーンリーで指導者としての経歴を始めた。同シーズンを9位で終え、引退と同時に退団した。

その後はエヴァートンとマンチェスター・シティでチームメイトであったピーター・リードとともに、サンダーランドAFCで働き、彼は下部組織を任せられた[6]

1999年夏に古巣のシェフィールド・ユナイテッドの監督に就任するが5ヶ月で退任した。

その後は再びリードとともに仕事をし、リーズ・ユナイテッドFCコヴェントリー・シティFCに在籍した。2005年1月にリードが退任すると暫定指揮を務め、ミッキー・アダムス就任まで務めた。アダムス退任後の2007年1月にも暫定監督として指揮を執った[7][8]

米国

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2008年2月にオースティン・アステックスFCの監督に就任[9]。会長のフィル・ローリンスと彼の故郷であるニューカッスル=アンダー=ライムのパブで話し合った事からの就任であった[10]。2010年にクラブがフロリダ州に移転しオーランド・シティSCに改組となるとそのまま指揮を執った。さらに成績が好調でメジャーリーグサッカーへの参入が認められると、2014年11月21日に2017年末まで契約を延長した[11]。しかし2016年7月7日にFCダラス相手に4-0の完敗を喫すると解任された[12]

2016年11月にメジャーリーグサッカー参入が決まっているミネソタ・ユナイテッドFCの監督に就任[13]。所属選手の代表招集もあって当初は4試合で18失点という、2番目に失点を喫しているクラブですら6試合かかった記録を作り上げるなど相当に厳しい結果であった[14]。しかし、5試合目で勝利し、その後も指揮を執っている[15]

プレースタイル

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身長が168cmと小柄であり、インチー(Inchy)の名で知られた。その小柄さを活かしたスピードスターであった。

参考文献

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  1. ^ a b c d e Stoke City 101 Golden Greats. Desert Islands Books. (2002). ISBN 1-874287-55-4 
  2. ^ Penney, Ian (1995). The Maine Road Encyclopedia. Edinburgh: Mainstream. p. 93. ISBN 1-85158-710-1 
  3. ^ James, Gary (2006). Manchester City – The Complete Record. Derby: Breedon. p. 449. ISBN 1-85983-512-0 
  4. ^ Buckley, Andy; Burgess, Richard (2000). Blue Moon Rising: The Fall and Rise of Manchester City. Bury: Milo. pp. 32–3. ISBN 0-9530847-4-4 
  5. ^ James, Manchester City - The Complete Record, pp. 450–1
  6. ^ “Football: Heath takes over at Blades” (英語). The Independent. https://www.independent.co.uk/sport/football-heath-takes-over-at-blades-1100488.html 2018年10月27日閲覧。 
  7. ^ Adams sacked by City”. BBC Sport. 19 February 2007閲覧。
  8. ^ Dowie takes over as Coventry boss”. BBC Sport (19 February 2007). 19 February 2007閲覧。
  9. ^ Aztex Announce Head Coach”. Austin Aztex Soccer Club. SunHerald (21 February 2008). 28 February 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。21 February 2008閲覧。
  10. ^ Adrian Heath interview: Former Everton striker prepares his Orlando” (30 October 2014). 15 October 2018閲覧。
  11. ^ Orlando City SC Extends Head Coach Adrian Heath's Contract Through 2017 | Orlando City Soccer Club”. 15 October 2018閲覧。
  12. ^ DelGallo, Alicia. “Orlando City fires head coach Adrian Heath” (英語). OrlandoSentinel.com. https://www.orlandosentinel.com/sports/orlando-city-lions/on-the-pitch/os-orlando-city-fires-head-coach-adrian-heath-20160706-story.html 15 October 2018閲覧。 
  13. ^ Minnesota United names Adrian Heath head coach ahead of first MLS season”. ESPN FC. 20 March 2017閲覧。
  14. ^ New England condemns Minnesota to inglorious record; Timbers toppled”. ESPN FC. 29 March 2017閲覧。
  15. ^ Minnesota United finally won their first match with of mix of good attacking and a Nick Rimando error”. FOX Sports. 3 April 2017閲覧。

外部リンク

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