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ウラジーミル・ソコロフスキー=アフトノモフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル(ソコロフスキー=アフトノモフ)。パナギアではなく胸掛け十字架をさげた姿で写っているため、主教叙聖(1887年)より前、司祭叙聖(1878年)より後に撮影されたものと考えられる。

ウラジーミル・ソコロフスキー=アフトノモフ[1]ロシア語: Владимир Соколовский-Автономов, 1852年12月31日 - 1933年)は、正教会主教である。俗名はワシーリィ・グリゴーリエヴィチ・ソコロフスキー=アフトノモフ(ロシア語: Василий Григорьевич Соколо́вский-Автоно́мов)。

1852年ロシアポルタヴァ県に生まれる。1878年カダン神学大学を卒業して、10月3日に修道司祭叙聖される。

1880年ニコライ・カサートキンに招かれて来日、ニコライの補佐と、正教神学校の充実を図った。1884年に典院昇叙。1885年ロシアに帰国する。

1887年アラスカのアリューシャンの主教に叙聖される。1888年米国伝道のために5人の祭司と18名のホルム神学校の生徒18人を連れて、サンフランシスコに行く。そこで、聖歌隊を育成し、英語で聖体礼儀を実施する。

1891年にロシアに帰国。同年6月、主教叙聖

1910年3月に病気のため管轄司祭職から離れ、モスクワの聖アンドロニク修道院で講師を務める。

1921年、大主教昇叙。

1933年、(宗教弾圧政策をソ連政府がとっている中)モスクワの修道院で貧困のうちに永眠。

脚注

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  1. ^ アクセントを長音表記して、ソコローフスキー=アフトノーモフとも表記し得る。複合姓。

参考文献

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外部リンク

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