ウドーネン家
ウドーネン家(ドイツ語:Udonen)は、9世紀から12世紀にかけてシュターデ伯領およびノルトマルク辺境伯領を支配したドイツの貴族の家系。
概要
[編集]一族の始祖ハインリヒ1世禿頭伯は、965年にフランケン公領のハルゼフェルトに居を構え、そこに城を建てた[1]。ハインリヒ1世は初代シュターデ伯ロタール1世の孫であったが、ロタール1世はエープシュトルフの戦いにおいて大異教軍に殺害され、カトリック教会によりエープシュトルフの殉教者の一人とされた。
ハインリヒ1世の孫ロタール・ウード1世は1056年にノルトマルク辺境伯に任ぜられた[1]。983年のスラヴ人の反乱のため、当時のノルトマルクの領域はエルベ川中流域の西側の今日のアルトマルクに限られていた。ロタール・ウード1世の辺境伯としての立場により、エルベ川下流域のシュターデ伯領は文書ではcomitatus Marchionis Udonis(ウード辺境伯の伯領)と呼ばれていた。
1060年代、皇帝ハインリヒ4世は帝国の領土を拡大しようとし、その中にはシュターデ伯領も含まれていた。ウドーネン家はこの伯領をブレーメン大司教から買い取ることに同意することで皇帝に有利に解決し、帝国諸侯の身分で皇帝の家臣として統治した。これはウード4世、ルドルフ2世、ハルトヴィヒ兄弟の死または退位まで続き、ウドーネン家の男系は断絶した。ザクセン公アルブレヒト1世熊公はノルトマルク辺境伯の領地を引き継ぎ、その後ハインリヒ獅子公は1145年から皇帝フリードリヒ1世により追放されるまでシュターデ伯領を統治した。その後シュターデ伯領はブレーメン大司教の直接統治となり[1]、一方ノルトマルク伯辺境伯領はブランデンブルク辺境伯領となった。
一族の歴史の中で最も信頼できるものは、ハインリヒ1世の娘クニグンデ・フォン・シュターデの息子であるメルゼブルク司教ティートマールと、クニグンデの夫ヴァルベック伯ジークフリート1世によるものである。ティートマールにはいずれも929年のレンツェンの戦いで亡くなったヴァルベック伯ロタール1世とシュターデ伯ロタール2世の2人の曽祖父がいた[2]。
ウドーネン家に関する最初の記録は、聖ボニファティウスに関するラギンドルディス写本の記念版の注釈にみられる。写本の後ろの方の注釈では、ハインリヒ1世とその息子ハインリヒ2世善良伯について詳しく述べられている。この注釈には、ビルング家、特にハインリヒ1世の2番目の妻ヒルデガルトとザクセン公ベルンハルト1世に嫁いだ娘ヒルデガルトについて記されている。
ティートマールは、祖父ハインリヒ1世が皇帝オットー1世と血縁関係にあったと主張しているが[3]、この関係は証明されていない[4]。
929年のレンツェンの戦いでロタール2世が亡くなった後、ビルング家のヴィヒマン1世とその息子らによりウドーネン家は不遇の時代を迎えるが、ヴィヒマン1世らの犯罪的な行動はすぐにウドーネン家の復活につながった。一族出身でないフリードリヒを除いて、一族は12世紀半ばまでシュターデ伯領とノルトマルク辺境伯領を統治した[1]。
系図
[編集]ロタール1世 シュターデ伯 | オーダ (ザクセン公リウドルフ娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロタール2世 シュターデ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーディト (ヴェッテラウ伯ウード娘) | ハインリヒ1世 シュターデ伯 | ヒルデガルト | ジークフリート1世 シュターデ伯 | ティートマール コルヴァイ修道院長 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ2世 シュターデ伯 | ロタール・ウード1世 シュターデ伯 | ジークフリート2世 シュターデ伯 | ゲルベルガ 1=クヴェーアフルト伯ディートリヒ1世 2=ブラウンシュヴァイク伯ブルーノ6世 | ハトゥイ ヘースリンゲン女子修道院長 | クニグンデ =ヴァルベック伯ジークフリート1世 | ヒルデガルト =ザクセン公ベルンハルト1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジークフリート3世 | ウード リースガウの伯 | ロタール・ウード2世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(1世) | ディートリヒ ミュンスター司教 | ティートマール メルゼブルク司教 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルトラーダ (ホラント伯ディルク3世娘) | ディートリヒ1世 カトレンブルク伯 | ロタール・ウード3世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(2世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルトルート (マイセン辺境伯エクベルト1世娘) | ディートリヒ2世 カトレンブルク伯 | ハインリヒ3世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(1世) | ロタール・ウード4世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(3世) | ルドルフ1世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯 | ジークフリート | アーデルハイト 1=ザクセン宮中伯フリードリヒ3世 2=テューリンゲンの伯ルートヴィヒ跳躍伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ3世 カトレンブルク伯 | ハインリヒ4世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(2世) | アーデルハイト =マイセン辺境伯ハインリヒ2世 | イルムガルト =ヘンネベルク伯ポッポ5世 | ルドルフ | ウード5世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯(4世) | ルドルフ2世 シュターデ伯 ノルトマルク辺境伯 | ハルトヴィヒ ブレーメン大司教 シュターデ伯 | リヒャルディス バッスム女子修道院長 | ルイトガルト =デンマーク王エーリク3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b c d Karl Ernst Hermann Krause (1884). "Lothar III.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 19. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 257–261.
- ^ 三佐川、付p. 81
- ^ 三佐川、p. 95
- ^ Ernst Schubert: Die Udonen, die „Grafen von Stade“. In: Hans Patze (originator): Geschichte Niedersachsens. Band 2, Teil 1: Ernst Schubert (ed.): Politik, Verfassung, Wirtschaft vom 9. bis zum ausgehenden 15. Jahrhundert (= Veröffentlichungen der Historischen Kommission für Niedersachsen, Bremen und die Ehemaligen Länder Hannover, Oldenburg, Braunschweig und Schaumburg-Lippe. 36). Hahn, Hannover 1997, ISBN 3-7752-5900-7, pp. 165–167, here p. 167.
参考文献
[編集]- Karl Ernst Hermann Krause (1884). "Lothar III.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 19. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 257–261.
- Georg Dehio (1879). "Hartwig I. (Erzbischof von Bremen)". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 10. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 716–718.
- Günter Glaeske: Hartwig I. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 8, Duncker & Humblot, Berlin 1969, ISBN 3-428-00189-3, S. 11 (電子テキスト版).
- Schwarzwälder, Herbert, Die Bischöfe und Erzbischöfe von Bremen, Ihre Herkunft und Amtszeit - ihr Tod und ihre Gräber, in: Die Gräber im Bremer St. Petri Dom, Blätter der "Maus", Gesellschaft für Familienforschung, Bremen, 1996
- Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln Band VIII (1980) Tafel 133
- Eberhard Winkhaus: Ahnen zu Karl dem Großen und Widukind, Ennepetal 1950
- Ruth Schöllkopf: Die sächsischen Grafen (919–1024), Göttingen 1957 (Studien und Vorarbeiten zum Historischen Atlas Niedersachsens Heft 22)
- 三佐川亮宏 『オットー朝年代記』 知泉書館、2021年