ウィルソン・パラシオス
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ウィルソン・ロベルト・パラシオス・スアソ Wilson Roberto Palacios Suazo | |||||
ラテン文字 | Wilson PALACIOS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ホンジュラス | |||||
生年月日 | 1984年7月29日(40歳) | |||||
出身地 | ラ・セイバ | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | ビクトリア | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2008 | オリンピア | 102 | (32) | |||
2007-2008 | → バーミンガム (loan) | 7 | (0) | |||
2008-2009 | ウィガン | 37 | (0) | |||
2009-2011 | トッテナム | 65 | (1) | |||
2011-2015 | ストーク | 38 | (0) | |||
2015-2016 | マイアミFC | 18 | (0) | |||
2018-2019 | オリンピア | 3 | (0) | |||
2019 | レアル・ソシエダ | 9 | (0) | |||
通算 | 279 | (33) | ||||
代表歴 | ||||||
2003-2014 | ホンジュラス | 97 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウィルソン・ロベルト・パラシオス・スアソ(Wilson Roberto Palacios Suazo, 1984年7月29日 - )は、ホンジュラス・ラ・セイバ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元ホンジュラス代表。
経歴
[編集]2007年8月31日、イングランドのバーミンガム・シティFCへ6ヶ月契約でレンタル移籍し、9月22日にアンフィールドでのリヴァプールFC戦でデビューした。
2008年1月11日、移籍金なしでウィガン・アスレティックFCに移籍した。翌日のダービー・カウンティFC戦でデビューし、その活躍はマンチェスター・ユナイテッドFC、リヴァプールFC、バイエルン・ミュンヘン、レアル・マドリードなどのビッグクラブから興味を示されるほどだった[1] [2] [3]。
一時はニューカッスル・ユナイテッドFCへの移籍が内定していたが、2009年1月21日にトッテナム・ホットスパーFCへ移籍した。移籍金は1200万ポンド、契約期間は5年半であった。1月31日のボルトン・ワンダラーズFC戦でデビューし、彼のシュートのこぼれ球をダレン・ベントが決めて2点目に貢献した[4]。2戦目のアーセナルFCとのダービーマッチではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍を見せた。8月19日のハル・シティAFC戦ではロビー・キーンがスルーしたボールをシュートし、移籍後初ゴールを決めた。得点後には天に向かって指を指し、同年5月に亡くなった弟(後述)に祈りを捧げた。
2011年8月31日にピーター・クラウチとともにストーク・シティFCへ4年契約で完全移籍。2014-15シーズン限りで契約満了によりブリタニア・スタジアムを去り[5]、ハル・シティAFCのトライアルに参加したが契約には至らなかった[6]。
2015年12月15日、NASLのマイアミFCに加入することが発表された[7]。2016年シーズンは18試合に出場したが、11月21日に同クラブを退団した[8]。
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 97試合 5得点(2003年-2014年)[9]
ホンジュラス代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 5 | 0 |
2004 | 10 | 0 |
2005 | 12 | 1 |
2006 | 6 | 1 |
2007 | 13 | 0 |
2008 | 12 | 2 |
2009 | 10 | 0 |
2010 | 6 | 0 |
2011 | 2 | 0 |
2012 | 6 | 0 |
2013 | 10 | 1 |
2014 | 5 | 0 |
通算 | 97 | 5 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- オリンピア
- トッテナム
- バークレイズ・アジア・トロフィー : 2009
個人
[編集]- トッテナム年間最優秀選手 : 2009-10
エピソード
[編集]- 5人兄弟の三男。一番下の弟以外はサッカー選手である。一番上の兄はミルトン・パラシオス、一番年が近い兄はジェリー・パラシオス、一番年が近い弟はジョニー・パラシオス。いずれも、ホンジュラス代表歴がある。ミルトンは2003 CONCACAFゴールドカップに出場、ジョニーは2009 CONCACAFゴールドカップに出場歴がある(ちなみにウィルソンは2005 CONCACAFゴールドカップ、2007 CONCACAFゴールドカップの出場歴がある)。
- ウィルソンの弟エドウィンは2007年10月に両親が住む実家から誘拐され、家族は誘拐犯に約20万ドル(約2000万円)の身代金を払ったが、エドウィンは解放されず、2009年5月に殺害されていたことが明らかになった[10]。
脚注
[編集]- ^ Goal.com (2008年1月15日). “Manchester United Back In For Wilson Palacios?”. 2009年12月13日閲覧。
- ^ Goal.com (2008年1月20日). “Wilson Palacios Joins Tottenham Hotspur - Reports”. 2009年12月13日閲覧。
- ^ Mirror (2008年8月22日). “Steve Bruce warns Liverpool off a swoop for Wilson Palacios”. 2009年12月13日閲覧。
- ^ BBC Sport (2009年1月31日). “Bolton 3-2 Tottenham”. 2009年12月13日閲覧。
- ^ “Stoke City release Sorensen, Palacios and Wilkinson”. BBC Sport (2015年5月29日). 2016年12月23日閲覧。
- ^ “Wilson Palacios joins Hull City on trial and could become first summer signing”. Hull Daily Mail (2015年7月15日). 2016年12月23日閲覧。
- ^ “Miami FC Makes Big Strides Toward 2016 NASL Season”. Maimi FC (2015年12月10日). 2016年12月23日閲覧。
- ^ “The Miami FC Announces Roster Adjustments”. Miami FC (2016年11月21日). 2016年12月23日閲覧。
- ^ ウィルソン・パラシオス - National-Football-Teams.com
- ^ ロイター (2009年5月10日). “サッカー=ホンジュラス代表パラシオス、弟殺害の悲報受け帰国へ”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- ウィルソン・パラシオス - National-Football-Teams.com
- ウィルソン・パラシオス - Soccerway.com
- ウィルソン・パラシオス - Soccerbase.comによる選手データ
- ウィルソン・パラシオス - FootballDatabase.eu
- ウィルソン・パラシオス - WorldFootball.net
- ウィルソン・パラシオス - Transfermarkt.comによる選手データ
- ウィルソン・パラシオス - FIFA主催大会成績
- ウィルソン・パラシオス - playmakerstats.com
- ウィルソン・パラシオス - BDFutbol.com
- ウィルソン・パラシオス - AS.com