イーシャー子爵
イーシャー子爵 Viscount Esher | |
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Arms:Quarterly: 1st and 4th, Or a Lion rampant Gules holding in the dexter paw a Fasces erect proper within an Orle of Crosses Botonnée fitchée of the second; 2nd, Per pale Or and Gules three Leopards' Faces counterchanged; 3rd, Azure thee Bears' Heads couped Argent muzzled Gules Crest:A Lion passant Gules charged on the shoulder with a Cross Botonnée fitchée Or and holding in the dexter paw a Fasces proper Supporters:Dexter: a Boar Sable; Sinister: a Lion Sable; each charged on the shoulder with a Cross Botonnée fitchée Or and supporting a Fasces proper
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創設時期 | 1897年11月11日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵ウィリアム・ブレット |
現所有者 | 5代子爵クリストファー・ブレット |
相続人 | マシュー・ブレット閣下 |
付随称号 | イーシャー男爵 |
現況 | 現存 |
モットー | 我らが勝利せり (Vicimus) |
イーシャー子爵(英: Viscount Esher)は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。判事ウィリアム・ブレットが1897年に叙位されたことに始まる。
歴史
[編集]その祖ウィリアム・ベリオル・ブレット(1815–1899)は控訴院裁判官を務めた法曹家である[1][2][3]。彼は1885年7月24日に連合王国貴族としてサリー州イーシャーのイーシャー男爵(Baron Esher, of Esher in the County of Surrey)に叙された[1][3][4]。ウィリアムはさらに控訴院記録長官を退任した1897年11月11日にサリー州イーシャーのイーシャー子爵(Viscount Esher, of Esher in the County of Surrey)に昇叙した[1][3][5]。
2代子爵レジナルド(1852–1930)は自由党の政治家として活動した[1]。政界引退ののちは歴史家として活躍し、エドワード7世やキッチナー卿に関する著作を残した。彼は儀式典礼に明るかったため、エドワード7世即位に際して戴冠式の準備に関わったほか、ウィンザー城主代理に任じられている[6]。
3代子爵オリヴァー(1881–1963)はナショナルトラスト協会の会長職を務めている[7]。
4代子爵ライオネル(1913–2004)は建築家として知られ、アーバンデザイナーとしても活躍した[8]。
その後は彼の息子であるクリストファーが5代子爵クリストファー(1936-)を襲って現在に至っている。
紋章に刻まれるモットーは、『我らが勝利せり(Vicimus)』[1]。
一族の邸宅は、オックスフォードシャー州ニューイントン近郊のビューフォレスト・ハウス(Beauforest House)[1]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第5代イーシャー子爵クリストファー・ライオネル・バライオル・ブレットは、以下の爵位を保有している[1]。
- 第5代サリー州イーシャーのイーシャー子爵(5th Viscount Esher, of Esher in the County of Surrey)
(1897年11月11日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第5代サリー州イーシャーのイーシャー男爵(5th Baron Esher, of Esher in the County of Surrey)
(1885年7月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
イーシャー子爵(1897年)
[編集]- 初代イーシャー子爵ウィリアム・ベリオル・ブレット(1815–1899)
- 第2代イーシャー子爵レジナルド・ベリオル・ブレット (1852–1930)
- 第3代イーシャー子爵オリヴァー・シルベイン・ベリオル・ブレット(1881–1963)
- 第4代イーシャー子爵ライオネル・ゴードン・バライオル・ブレット(1913–2004)
- 第5代イーシャー子爵クリストファー・ライオネル・バライオル・ブレット (1936-)
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるマシュー・クリストファー・アンソニー・ブレット閣下 (1963-)。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Esher, Viscount (UK, 1897)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年9月5日閲覧。
- ^ この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Esher, William Baliol Brett, 1st Viscount". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 9 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 768.
- ^ a b c Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 354
- ^ "No. 25493". The London Gazette (英語). 24 July 1885. p. 3426. 2020年9月5日閲覧。
- ^ "No. 26910". The London Gazette (英語). 12 November 1897. p. 6227. 2020年5月30日閲覧。
- ^ 君塚直隆『ベル・エポックの国際政治 エドワード七世と古典外交の時代』中央公論新社、2012年(平成24年)、92頁。ISBN 978-4120044298。
- ^ "Viscount Esher". The Times. 9 October 1963.
- ^ "Lionel Gordon Baliol Brett, 4th Viscount Esher - Person - National Portrait Gallery". www.npg.org.uk. Retrieved 23 November 2017.