イヴ・マリオット
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Yves Mariot | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1948年7月5日 | |||||
出身地 | フランス、ムルト=エ=モゼル県ナンシー | |||||
没年月日 |
2000年1月15日(51歳没) フランス、リヨン | |||||
身長 | 178cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1967–1973 | ASナンシー | 77 | (8) | |||
1973 | CSスダン・アルデンヌ | 28 | (3) | |||
1973–1977 | オリンピック・リヨン | 114 | (16) | |||
1977–1978 | SCバスティア | 24 | (1) | |||
1978 | パリFC | 10 | (0) | |||
1978-1980 | OGCニース | 24 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1975 | フランス | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イヴ・マリオット(フランス語: Yves Mariot、1948年7月5日 - 2000年1月15日)は、フランスの元サッカー選手。1970年代のヨーロッパにおいてマルセイユ・ルーレットを最初に広めたことで知られている。
経歴
[編集]ASナンシーでデビュー。選手としてのマリオットを知らしめたのはオリンピック・リヨン時代で、1975年にフランス代表に選出、ポルトガル戦に出場した。SCバスティアに移籍後の1978年にUEFAカップの決勝戦へチームを導き、叙事詩的英雄の一人として讃えられた。
左ウィンガーのマリオットは、試合中に「エアルーレット」を使用する数少ない選手の1人として知られていた。自らの後ろにあるボールを、踵で通過させて回収し、対戦相手を翻弄した。マリオットは類稀な技術でこのターンを完璧に使いこなし、試合で頻繁に使用した[1]。
現役引退後は自然を友とし、馬の世話をしていた。2000年1月15日、リヨン[2]において動脈瘤破裂により51歳で死去した[3]。
出典
[編集]- ^ Alex Bourouf (1er décembre 2014). “La roulette de Mariot et la roulette de Farias”. oldschoolpanini.com. 2020年10月13日閲覧。
- ^ “le fichier des personnes décédées en France depuis 1970”. État civil. 2020年10月13日閲覧。
- ^ “Saison 1999-2000 : SC Bastia”. corsefootball.fr (2015年7月2日). 2020年10月13日閲覧。