イヴァン・コトリャレーウシキー
イヴァン・コトリャレーウシキー | |
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誕生 |
1769年9月9日 ポルターヴァ、ウクライナ |
死没 |
1838年11月10日(69歳没) ポルターヴァ、ウクライナ |
職業 | 詩人、作家、文学者 |
国籍 | ロシア帝国 |
代表作 | 『エネイーダ』 |
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イヴァン・コトリャレーウシキー(ウクライナ語:Іван Петрович Котляревський;1769年9月9日‐1838年11月10日)は、ウクライナの作家。近代ウクライナ文学の基盤となった『エネイーダ』の著者。
概要
[編集]1769年9月9日にコサック国家ポルターヴァ連隊ポルターヴァ市で、市役所の書記の家で生まれた。エカテリノスラフ中学校を出て、1780年から1789年にかけてポルターヴァ神学校で学んだ。卒業後、各地の地主の書記と家庭教師として務めた。1794年に文学活動を開始し、ウェルギリウスの『アエネーイス』をもとにウクライナ語の口語で書かれたパロディー叙事詩『エネイーダ』を書き始めた。1798年に『エネイーダ』の一部をサンクトペテルブルクで出版した。1796年から1808年にかけて将校として軍役を務め、露土戦争(1806年‐1812年)に従軍した。1809年に『エネイーダ』の第四章を刊行した(1842年にハルキウで全章出版)。1810年に貴族児童養護館の館長を務めた。1812年の露仏戦争の最中に第5コサック連隊を編成し、ロシア帝国軍の少佐となった。1817年にギリシアのサッポーの詩を翻訳した(1844年に出版)。1818年にフリーメイソンのロッジ「真理への愛」の会員となった。ポルターヴァ市立劇場の創立に関わり、1819年から1821年にかけて当劇場の監督を務めた。1819年に、ウクライナの近代戯文学の最古戯曲『ポルターヴァのナタールカ』・『魔法使いのモスカーリ人』を書いた(前者は1838年に、後者は1841年に出版)。1819年から1830年にかけてロシア帝国図書会ポルターヴァ支部の部長を務めながら、1827年からポルターヴァの市内の養護施設の管理者であった。ウクライナの民俗資料・伝承・神話を集め、自らの作品においてそれを利用した。1838年11月10日にポルターヴァで死去した。
参考文献
[編集]- 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- ISBN 4121016556 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年.
- Волинський П. К. Іван Котляревський: Життя і творчість. — 2. вид., доп. і перероб. — К.: Державне видавництво художньої літератури, 1955.
- Волинський П. К. Іван Котляревський: Життя і творчість. — 3. вид., доп. і перероб. — К.: Дніпро, 1969.
- Іван Котляревський. Бібліографічний покажчик. 1798—1968 / М. О. Мороз (уклад.).— К., 1969.
- Котляревський І. П. Повне зібрання творів у двох томах. — К.: Академія Наук Української РСР, 1952—1953.
- Котляревський І. П. Повне зібрання творів. — К.: Наук. думка, 1969. — 510 с.
- Котляревський І. П. Твори у двох томах. — К.: Видавництво художньої літератури «Дніпро», 1969.
- Малий словник історії України / В. А. Смолій (ред.). — К.: Либідь, 1997.
- Хропко П. П. Іван Котляревський. Біографічний нарис. — К.: Дніпро, 1969.