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インドラヴァルマン4世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インドラヴァルマン4世 
इन्द्रवर्मन् ४
チャンパ王
在位 982年 - 986年

死去 986年?
王朝 第7王朝
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インドラヴァルマン4世サンスクリット語: इन्द्रवर्मन् ४, ラテン文字転写: Indravarman IV, 生年不詳 - 986年?)は、チャンパ王国占城国)第7王朝の第5代国王(在位:982年 - 986年)。『宋史』では施利陀盤呉日歓ベトナム語: Thi Lợi Đà Bàn Ngô Nhựt Hoan)、『宋会要輯稿』では施利陀盤ベトナム語: Thi Lợi Đà Bàn)と記される。

生涯

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982年黎桓率いる前黎朝大瞿越中国語版軍がチャンパに侵攻し[1][2][3]チャンパ=大瞿越戦争 (982年)中国語版)、パラメーシュヴァラヴァルマン1世が戦死すると即位した。インドラヴァルマン4世は王都インドラプラ英語版を脱出して南方に逃れた[2][4]983年1月17日に遣使して[2]を献上した。太宗は象を広州で畜養するように命じた。同年10月9日にも宋に遣使して[2]馴象を献じ、太宗は都開封近くの寧陵県で畜養するように命じた。

985年3月18日、インドラヴァルマン4世は婆羅門金歌麻を宋に遣使して龍脳玳瑁・象牙・越諾布を献じ、大瞿越の侵略を訴えた[2][4]。太宗は両国に睦まじくするよう詔を下した。インドラヴァルマン4世が南方に逃れている間、安南人の劉継宗が権力を握り[4]、インドラヴァルマン4世が死去する[4]と占城王を称した[2]

出典

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  1. ^ 桜井由躬雄「紅河の世界」『東南アジア史 I 大陸部』、50頁。 
  2. ^ a b c d e f 桜井由躬雄「南シナ海の世界」『東南アジア史 I 大陸部』、68-69頁。 
  3. ^ レイ・タン・コイ, p. 28
  4. ^ a b c d Cœdès, p. 125

参考資料

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  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681 
  • 石井米雄桜井由躬雄 編『東南アジア史 I 大陸部』山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。ISBN 978-4634413504 
  • レイ・タン・コイベトナム語版 著、石澤良昭 訳『東南アジア史』(増補新版)白水社文庫クセジュ〉、2000年4月30日。ISBN 978-4560058268 
  • 宋史』巻四 本紀第四 太宗一
  • 『宋史』巻五 本紀第五 太宗二
  • 『宋史』巻四百八十九 列伝第二百四十八 外国五 占城
  • 『宋会要輯稿』巻百十九 蕃夷四 占城
先代
パラメーシュヴァラヴァルマン1世
チャンパ王
第7王朝第5代:
982年 - 986年
次代
劉継宗