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インドラヴァルマン1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 インドラヴァルマン1世
इन्द्रवर्मन् १
チャンパ王
在位 786年 - 801年

死去 801年
王朝 第5王朝
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インドラヴァルマン1世サンスクリット語: इन्द्रवर्मन् १, ラテン文字転写: Indravarman I, 生年不詳 - 801年)は、チャンパ王国環王国中国語版)第5王朝の第3代国王(在位:786年 - 801年)。『唐会要』ではベトナム語: Nhân)と記される。

生涯

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サティヤヴァルマン中国語版の弟[1][2]。兄王の死後、王位を継承した。当時の朱泚が起こした涇原の兵変中国語版の余波によって南方を顧みる余裕がなく、その間隙を突いて安南都護府の管轄する驩州愛州に侵攻した。当時のチェンラは陸真臘と水真臘に分裂していたが、これに乗じてチェンラにも侵攻するなど盛んに外征を行った。

787年、ジャワの海からやってきた賊(ダラニンドラ英語版治下のシャイレーンドラ朝か)によって王都ヴィラプラ中国語版の西方にあったバドラディパティシュヴァラ(現在のファンラン=タップチャム付近)の寺院を破壊されて[1]宝物を奪われ、その地にいた戦士や奴婢は皆殺掠された。793年10月には第4王朝(林邑国中国語版)のルドラヴァルマン2世以来43年ぶりとなる唐への朝貢を行って[1]犀牛を献じている。799年、インドラヴァルマン1世は3つのカランドイツ語版を新たに建造してバドラディパティシュヴァラの寺院を再建し[1][3]インドラバドレーシュヴァラ、シャンカラナーラーヤナを祀った。

インドラヴァルマン1世の死後、王位は妹婿のハリヴァルマン1世が継承した[4]

出典

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  1. ^ a b c d Cœdès, p. 95
  2. ^ Sharma, p. 108
  3. ^ Sen, p. 528
  4. ^ Cœdès, pp. 103

参考資料

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  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681 
  • Sailendra Nath Sen (1999). Ancient Indian History and Civilization. New Age International. ISBN 978-8122411980 
  • Geetesh Sharma (2010). Traces of Indian Culture in Vietnam. Rajkamal Prakashan. ISBN 978-8190540148 
  • 唐会要』巻九十八 林邑国
  • 冊府元亀』巻九百七十二 朝貢第五
先代
サティヤヴァルマン
チャンパ王
第5王朝第3代:
786年 - 801年
次代
ハリヴァルマン1世