インドネシア国立航空宇宙研究所
インドネシア国立航空宇宙研究所 | |
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正式名称 | Lembaga Penerbangan dan Antariksa Nasional |
日本語名称 | インドネシア国立航空宇宙研究所 |
英語名称 | National Institute of Aeronautics and Space |
略称 | LAPAN |
所在地 |
インドネシア ジャカルタ |
予算 | 2000万米ドル(2009) |
所長 | Adi Sadewo Salatun |
設立年月日 | 1964年11月27日 |
ウェブサイト | http://www.lapan.go.id/ www.lapan.go.id |
インドネシア国立航空宇宙研究所(インドネシアこくりつこうくううちゅうけんきゅうじょ、インドネシア語: Lembaga Penerbangan dan Antariksa Nasional - LAPAN、英語: National Institute of Aeronautics and Space)はインドネシアの宇宙機関。1964年11月27日にインドネシアスハルト前大統領によって設立された。大統領諮問委員会である国家航空宇宙会議(DEPANRI)のもと、研究技術省と連携した大統領直轄の研究所で、リモートセンシング衛星データの活用と上層大気の研究開発を主要な活動としている[1]。過去20年間以上にわたって人工衛星、主にパラパ衛星を含む通信衛星を運用しており、これらはヒューズ(現:Boeing Satellite Systems)によって製造され、アメリカのデルタロケットや、欧州のアリアン4・アリアン5ロケットによって打ち上げられた。
歴史
[編集]1962年5月31日、インドネシアジュアンダ首相によって宇宙航空委員会(Aeronautics Committee)が開設されたときにインドネシアの宇宙航空開発は始まった。
1962年9月22日、AURI(Indonesian Air Force)とバンドン工科大学が提携する形でPRIMA計画(インドネシア語: Proyek Roket Ilmiah dan Militer Awal、最初の科学及び軍事ロケット計画)が始まった。このプロジェクトの成果として2つのカルティア(Kartika、星)ロケットシリーズとテレメトリー兵器の打上げが行われた。
2年間に及ぶ国家支援のない非公式プロジェクトの後、1963年にインドネシア国立航空宇宙研究所が第236大統領命令によって設立された。
人工衛星
[編集]- パラパ静止通信衛星シリーズ
- 小型衛星LAPANの開発 LAPAN-TUBSAT(LAPAN-A1)は、ドイツのベルリン工科大学の協力下で開発し、2007年にインドのロケットで打ち上げられた小型地球観測衛星。2015年には、後継機のLAPAN-A2、LAPAN-A3の打ち上げを計画している。
ロケット
[編集]- RXシリーズ
- RPS-420 - 衛星打ち上げ機(開発中)
- パームングプーク発射所
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国際協力
[編集]太陽活動小期観測年(IQSY)のため日本からカッパロケットを10基輸入して1965年8月に発射した。 しかし、発射記録は3機のみで7機が不明となっておりインドネシアの隣国、マレーシア政府より軍事利用の疑いがあるとして抗議を受けている。
2006年12月にロシア連邦と、2008年10月にウクライナと宇宙空間平和利用探査協力協定を締結している[1]。またアジア太平洋宇宙協力機構に加盟している。
ビアク島にはインドのロケットであるGSLVの追跡局が設置されている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c “インドネシア航空宇宙研究所”. JAXA. 2010年9月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- LAPAN公式サイト
- JAXAの積極的な支援に期待 インドネシア国立航空宇宙研究所長官 トーマス・デジャマルディン 2014年12月 JAXA