イザベッラ・ディ・シチリア (バイエルン公妃)
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イザベッラ・ディ・シチリア Isabella di Sicilia | |
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出生 |
1310年 |
死去 |
1349年3月21日 神聖ローマ帝国 下バイエルン=ランツフート公領、ランツフート |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン公領、ミュンヘン、聖母教会 |
配偶者 | バイエルン公シュテファン2世 |
子女 |
シュテファン3世 アグネス フリードリヒ ヨハン2世 |
家名 | バルセロナ家 |
父親 | シチリア王フェデリーコ2世 |
母親 | エレオノーラ・ダンジョ |
イザベッラ・ディ・シチリア(イタリア語:Isabella di Sicilia, 1310年 - 1349年3月21日)は、シチリア王フェデリーコ2世とエレオノーラ・ダンジョの息子。兄弟にピエトロ2世およびアテネ公マンフレーディがいる。ドイツ語名はエリーザベト・フォン・ジツィーリエン(Elisabeth von Sizilien)。
結婚と子女
[編集]1328年6月27日、イザベッラは神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世とベアトリチェ・シフィドニツカの息子バイエルン公シュテファン2世と結婚した[1]。夫婦には3男1女が生まれた。
- シュテファン3世(1337年 - 1413年) - 下バイエルン=ランツフート公、後に上バイエルン=インゴルシュタット公。イザボー・ド・バヴィエールの父。
- アグネス(1338年 - ?) - 1356年にキプロス王ジャック1世と結婚。
- フリードリヒ(1339年 - 1393年) - 下バイエルン=ランツフート公
- ヨハン2世(1341年 - 1397年) - 下バイエルン=ランツフート公、後に上バイエルン=ミュンヘン公。カタリーナ・フォン・ゲルツと結婚[2]。
イザベッラは1349年に亡くなり、夫シュテファン2世は後にマルガレーテ・フォン・ニュルンベルクと結婚した。2人の間には子供がいなかった。
子孫
[編集]息子のうち2人はバイエルン公となり、娘のアグネスはキプロス王ジャック1世との結婚によりキプロス王妃となった。また、孫娘イザボーは、フランス王シャルル6世との結婚によりフランス王妃となった。イザボーの子供には、イングランド王妃イザベラ、イングランド王妃キャサリン、ブルゴーニュ公妃ミシェルおよびフランス王シャルル7世などがいる。
脚注
[編集]- ^ Dahlem 2012, p. 251.
- ^ Thomas 2010, p. 387.
参考文献
[編集]- Dahlem, Andreas (2012). “Late Fifteenth Century Architectural Manifestations of Ducal Authority in the Vicinity of Munich”. Visible Exports / Imports: New Research on Medieval and Renaissance European Art and Culture. Cambridge Scholars Publishing. p. 239-260
- Thomas, Andrew L. (2010). A House Divided: Wittelsbach Confessional Court Cultures in the Holy Roman Empire, c.1550-1650. Brill