イーゴリ・ベラノフ
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(イゴール・ベラノフから転送)
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名前 | ||||||
本名 | イーゴリ・イワノヴィッチ・ベラノフ | |||||
カタカナ | イーゴリ・ベラノフ | |||||
ラテン文字 | Igor Ivanovich Belanov | |||||
ロシア語表記 ウクライナ語表記 |
Игорь Иванович Беланов Ігор Іванович Бєланов | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウクライナ (旧 ソビエト連邦) | |||||
生年月日 | 1960年9月25日(64歳) | |||||
出身地 | ウクライナ・ソビエト社会主義共和国オデッサ | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | - | |||||
代表歴 | ||||||
1985-1990 | ソビエト連邦 | 33 | (8) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イーゴリ・ベラノフ(Igor Belanov, 1960年9月25日 - )は、ソビエト連邦(現ウクライナ)・オデッサ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。元ソビエト連邦代表。
人物
[編集]数あるバロンドール受賞者の中でも影の薄い存在であるが、1985-86シーズンにFCディナモ・キーウでUEFAカップウィナーズカップを獲得した事、ソビエト連邦代表の一員として1986年、メキシコワールドカップ決勝トーナメント1回戦ベルギー戦でハットトリックを挙げた事、同年10月11日に行われた欧州選手権予選で前回王者のフランスを2-0で下した3つの点が受賞理由とされ、他のゲーリー・リネカー、エミリオ・ブトラゲーニョといった候補を退けた理由と言われている。
その後、ペレストロイカの影響で選手の海外移籍が容認され、1989-90シーズンにボルシア・メンヒェングラートバッハへ移籍するが、既に選手として下り坂であったこともあり結果を残せず、1991年に近親者の不祥事が理由で解雇されている。
2022年ロシアのウクライナ侵攻では、61歳にしてウクライナ軍に入隊したと報じられている[1][2]。
エピソード
[編集]メキシコワールドカップ・ベルギー戦でハットトリックを達成したがチームは敗れた。ワールドカップでハットトリックを達成しながら敗れたのは史上3人目。
所属クラブ
[編集]- SCAオデッサ 1979-1980
- FCチョルノモレツ・オデッサ 1981-1984
- FCディナモ・キーウ 1985-1989
- ボルシア・メンヒェングラートバッハ 1989-1990
- アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 1991-1995
- FCチョルノモレツ・オデッサ 1995-1996
- メタルラグ・マリウポリ 1996-1997
代表歴
[編集]脚注
[編集]- ^ バロンドールを受賞した“ウクライナの英雄”が母国の防衛隊に入隊。銃を片手に最前線へ「破壊に来た占領者に立ち向かう…」サッカーダイジェストweb
- ^ バロンドールも受賞したウクライナの名手が軍に入隊「占領者に立ち向かうすべての人に栄光を!」【超ワールドサッカー】
外部リンク
[編集]- Bundesliga stats(ドイツ語)
- NationalFootballTeams data(英語)