アーネスト・ハーパー
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アーネスト・ハーパー | ||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | アーネスト「アーニー」・ハーパー | |||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Ernest "Ernie" Harper | |||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | |||||||||||||||||||||||
種目 | 長距離走、マラソン | |||||||||||||||||||||||
所属 | Hallamshire Harriers, Sheffield (GBR)[1] | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1902年8月2日 | |||||||||||||||||||||||
生誕地 | イングランド、イースト・ミッドランズ地方、ダービーシャー州チェスターフィールド[2] | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 1979年10月9日(77歳没) | |||||||||||||||||||||||
死没地 | オーストラリア、ビクトリア州ローズバッド(en:Rosebud, Victoria[注釈 1]) | |||||||||||||||||||||||
身長 | 168cm | |||||||||||||||||||||||
体重 | 58kg | |||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||
5000m | 15分35秒0(1926年) | |||||||||||||||||||||||
10000m | 31分58秒0(1924年) | |||||||||||||||||||||||
マラソン | 2時間31分23秒2(1936年) | |||||||||||||||||||||||
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アーネスト・ハーパー(Ernest "Ernie" Harper、1902年8月2日 - 1979年10月9日)は、イギリスの陸上競技選手である。専門は長距離走・マラソン。
彼は、オリンピックの陸上競技にイギリス代表として3回出場した。そのうち1936年ベルリンオリンピックのマラソンでは、日本代表として出場した朝鮮半島出身の孫基禎に続いて2位に入り、銀メダルを獲得した。
経歴
[編集]アーネスト・ハーパーは、1902年にダービーシャー州のチェスターフィールドで生まれた[2]。若いころから粘土鉱山で働き、陸上競技を始めたのは10代後半になってからのことであった[3]。ハーパーは1896年創立のスポーツクラブ、ハラムシャー・ハリアーズ(Hallamshire Harriers)に加入した[注釈 4][1]。
彼は陸上の長距離走に才能を発揮し、1924年パリオリンピック、1928年アムステルダムオリンピック、1936年ベルリンオリンピックの合計3回、オリンピック陸上競技のイギリス代表として出場している[4][5][6]。ハーパーは11歳のころからの喫煙者であり、レース中の水分補給については筋肉が痙攣するという理由で拒んでいたという[3]。
パリオリンピックでは、10000メートル走とクロスカントリーに出場した。10000メートル走では31分秒0の記録で、完走16人中の5位に入った[7]。この大会でのクロスカントリーは40度以上の酷暑の中で実施され、サバイバルテストの様相を呈した[8]。ハーパーは個人競技で4位(出場38人中完走15人)に入ったものの、団体競技[注釈 5] では彼以外の完走者がいなかったため、イギリスチームは順位なしに終わった[注釈 6][8][9]。
4年後のアムステルダムオリンピックでは、マラソンのみに出場した。競技は8月5日の午後3時14分にスタートし、ハーパーは2時間45分44秒の記録で完走者57人中の22位に入った[10]。
続く1932年ロサンゼルスオリンピックには、病気のため出場しなかった[3]。1936年ベルリンオリンピックでは、マラソンのみに出場した[11]。ハーパーは前回ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、アルゼンチン代表のファン=カルロス・サバラやフィンランド代表のエルッキ・タミラとヴァイノ・ムイノネン(en:Väinö Muinonen)、日本代表として出場した孫基禎などとともに優勝候補に挙げられていた[12][13]。このときハーパーは既に34歳になっていて、レースの際には皺深い顔に苦悶の表情を浮かべながら走っていた[12]。
オリンピックの開催中、ベルリンでは曇りがちで涼しく過ごしやすい気候が続いていた[12][14]。選手たちにとって不運なことに、マラソン競技当日の8月9日になって不意に暑さが戻り陽射しも強くなった[12][14]。レースは27の国から56人の選手が出場して午後3時にスタートし、早速サバラが非常に速いペースで飛び出した[注釈 7][11][12][13][16]。当日の天候を考慮に入れた他の選手たちは、あえて彼について行かなかった。10キロ地点では、サバラ、ポルトガル代表のマヌエル・ディアス(en:Manuel Dias (athlete))、アメリカ合衆国代表のエリソン・ブラウン(en:Ellison Brown)、ハーパー、孫の順位だった[17]。折り返し地点では、サバラが2位以降の選手たちを250メートル引き離して独走を続けていた[13][17]。
先行するサバラの後方で、英会話の心得が多少あった孫はハーパーと並走しながら会話を交わした[12]。ハーパーは孫に身振り手振りを交えて、この暑さではサバラはやがて駄目になると「まだまだスロー、セーブ、セーブ」と言った[18]。最初のうち孫は、このベテラン選手の心理作戦ではないかと警戒したというが、それにしてはハーパーの口調は真に迫っていた[18]。28キロ地点を過ぎたところで、サバラはオーバーペースがたたって急にスピードを落とした[12][13][17]。それを機と見た孫が一気にスピードを上げようとしたところをハーパーは手で制して、自分のペースを守れと再度の忠告を与えた[17]。孫とハーパーはサバラを抜き去った後もしばらく並走していたが、33キロ過ぎで孫が25秒先行し、そのまま差を広げて1位でオリンピアシュタディオンに戻ってきた[12][13]。
優勝した孫の記録は2時間29分19秒2で、これは当時のオリンピックマラソン最高記録であった[11][12][13]。ハーパーは2時間31分23秒2の記録で2位に入って銀メダルを獲得し、3位には折り返し点で14位だった日本代表の南昇竜が追い上げて2時間31分42秒0の記録で銅メダルを獲得する結果となった[11][12][17]。サバラは結局棄権し、出場56選手中のうち42名が完走した[11]。孫は自分が勝ったのは、ハーパーの忠告のおかげだと感謝の意を述べた[12]。
ハーパーにはマラソンでの優勝経験は1度もなかったが、1923年、1926年、1927年、1929年の4回にわたってAAA(en:Amateur Athletic Association of England)主催の10マイル走選手権で優勝している。1930年にカナダのハミルトンで開催されたブリティッシュ・エンパイア・ゲームズ[注釈 2]では6マイル走[注釈 3]で銀メダルを獲得した[19]。1939年にはプロに転向し、1950年に娘の移住先のオーストラリアに自分も移り住んだ[3]。彼は自分が獲得したメダルの多くを、家族の生計を支えるために売却した[3]。ハーパーはビクトリア州ローズバッドで1979年に死去している[注釈 1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 外部リンクSports-Reference.comでは、死去の場所を「ビクトリア州タラマリン」(en:Tullamarine, Victoria)と記述している。
- ^ a b コモンウェルスゲームズは、1954年までこの名称で呼ばれていた。「コモンウェルスゲームズ」の名称に変更されたのは1978年以降のことである。
- ^ a b 9.656064㎞。
- ^ ハラムシャー・ハリアーズに所属していた陸上選手には、ハロルド・ウィルソン(1908年ロンドンオリンピック1500メートル走銀メダル)、アーネスト・グローヴァー(1912年ストックホルムオリンピッククロスカントリー団体銅メダル)などがいた。
- ^ クロスカントリー団体競技は、1912年ストックホルムオリンピックから1924年のパリオリンピックに至る3大会で実施された競技である。選手は国ごとにチームを組み、クロスカントリー個人競技で上位になった3選手の順位を点数化してメダルを争った。
- ^ パリオリンピックのクロスカントリー団体競技は、1位フィンランド、2位アメリカ合衆国、3位フランス以外の出場チーム(スペイン、イギリス、イタリア)は全て「順位なし」の結果であった。
- ^ 『日章旗とマラソン』では参加選手数を「57人」と記述しているが、ここではsports-reference.comの記述に拠った。『日章旗とマラソン』の増補改訂版となる1988年の講談社文庫版では「56人」に修正されている[15]。
出典
[編集]- ^ a b The First 50 Years: 1896-1945 Hallamshire Harriers website 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b Olympic Athletes Born in Chesterfield,Derbyshire, Great Britain[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e Pride in Rosebud's marathon man[リンク切れ] Mornington Peninsula Leader 2012年12月15日閲覧。
- ^ Great Britain at the 1924 Paris Summer Games[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.2012年12月15日閲覧。
- ^ Great Britain at the 1928 Amsterdam Summer Games[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ Great Britain at the 1936 Berlin Summer Games 2012年12月15日閲覧。
- ^ Athletics at the 1924 Paris Summer Games:Men's 10,000 metres[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b Athletics at the 1924 Paris Summer Games:Men's Cross-Country, Individual[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ Athletics at the 1924 Paris Summer Games:Men's Cross-Country, Team[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ Athletics at the 1928 Amsterdam Summer Games:Men's Marathon[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e Athletics at the 1936 Berlin Summer Games:Men's Marathon[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k ラージ、398-401頁。
- ^ a b c d e f ケルチェターニ、64頁。
- ^ a b 鎌田、312頁。
- ^ 鎌田忠良『日章旗とマラソン ベルリン・オリンピックの孫基禎』講談社〈講談社文庫〉、1988年8月15日、350頁
- ^ 鎌田、313頁。
- ^ a b c d e 高橋、58-60頁。
- ^ a b 鎌田、316-318頁。
- ^ Commonwealth Games Federation -Commonwealth Games-Introduction アーカイブ 2017年4月14日 - ウェイバックマシン 2012年12月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 鎌田忠良 『日章旗とマラソン』潮出版社、1984年。
- ロベルト・L・ケルチェターニ 『近代陸上競技の歴史 1860-1991 誕生から現代まで<男女別>』 日本陸上競技連盟監修、ベースボール・マガジン社、1992年。ISBN 4-583-02945-4
- 高橋進 『マラソン百話』、ベースボールマガジン社、1997年。ISBN 978-4583034430
- デイヴィッド・クレイ・ラージ 『ベルリン・オリンピック 1936 ナチの競技』高儀進訳、白水社、2008年。ISBN 978-4-560-03188-9
外部リンク
[編集]- アーネスト・ハーパー - 国際オリンピック委員会
- アーネスト・ハーパー - オリンピックチャンネル
- アーネスト・ハーパー - Olympedia
- アーネスト・ハーパー - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- アーネスト・ハーパー - 国際陸上競技連盟
- アーネスト・ハーパー - TrackField.brinkster.net