アーサー・バーナード
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ヘルシンキオリンピックでのアーサー・バーナード、1952年。 | |||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | アーサー「アート」・バーナード | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 110メートルハードル | ||||||||||||||
所属 |
LAAC, Los Angeles (USA) アメリカ合衆国海軍 | ||||||||||||||
生年月日 | 1929年3月10日 | ||||||||||||||
生誕地 | アメリカ合衆国ワシントン州キング郡シアトル | ||||||||||||||
没年月日 | 2018年5月1日(89歳没) | ||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||
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アーサー・バーナード(Arthur Barnard、1929年3月10日 - 2018年5月1日)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手である。彼は、1952年に開催されたヘルシンキオリンピックの男子110メートルハードル走で銅メダルを獲得した。
経歴
[編集]シアトルで生まれ、南カリフォルニア大学に進学した[1]。
彼は110メートルハードル走の選手として活躍したが、同時期にハリソン・ディラード、ジャック・デービスという強力なハードラーがいたため、主要な競技会での優勝には無縁だった。南カリフォルニア大学在学中の1951年に、NCAA主催競技会で3位になったのが目立つ程度だった。翌年AAUの競技会で5位に終わった後、彼はヘルシンキオリンピックのアメリカ合衆国代表選考会で3位に入って、代表の座を勝ち取った。
ヘルシンキオリンピックでの110メートルハードル走は、30人の選手が出場して7月23日(予選)、7月24日(準決勝と決勝)という日程で実施された。選手たちは6つの組に分けられて予選を競い、各組上位2名が準決勝に進むことになっていた[2]。バーナードは6組に出場し、14秒4(手動計時、電動計時では14秒61)の記録で準決勝に勝ち残った[3]。準決勝では1組に出場し、ディラードに次いで14秒2(手動計時、電動計時では14秒44)で決勝に進んだ[4]。決勝は、準決勝で各組3位までに入った6選手がメダルを目指して競い合った。バーナードはスタートに失敗してしまったが、その後挽回して14秒1(手動計時、電動計時では14秒40)でディラード、デービスに続いて3位となり、アメリカ勢がメダルを独占する結果となった[5][6]。
2018年5月1日没[7]。
脚注
[編集]- ^ USC OLYMPIANS:1904-2010 (PDF) 2011年10月14日閲覧。
- ^ 但し、予選の組は、3人から6人までのまちまちの数で分けられていた。
- ^ Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Round One[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年10月14日閲覧。
- ^ Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Semi-Finals[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年10月14日閲覧。
- ^ Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Final[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2011年10月14日閲覧。
- ^ Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles 2011年10月14日閲覧。
- ^ Former USC Olympic Hurdles Medalist Barnard Passes Away 2018年5月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- アーサー・バーナード - Olympedia
- 110m hurdles Men Olympic.org 2011年10月14日閲覧。