アンリ・モンタン・ベルトン
アンリ・モンタン・ベルトン Henri Montan Berton | |
---|---|
Masson, Deblois & Massard 1868 | |
基本情報 | |
生誕 |
1767年9月17日 フランス王国 パリ |
死没 |
1844年4月22日(76歳没) フランス王国 パリ |
ジャンル | クラシック |
職業 | ヴァイオリニスト、作曲家 |
アンリ・モンタン・ベルトン(Henri Montan Berton, 1767年9月17日 - 1844年4月22日)は、フランスのヴァイオリニスト、作曲家、教師。
生涯
[編集]アンリはピエール・モンタン・ベルトンの息子として[1][2]、パリに生まれた。音楽教育を施された彼の成長は目覚しく、1782年には15歳でヴァイオリニストとしてパリでオペラの舞台に登場している。ベルトンはまずジャン=バプティスト・レイ[注 1]に、次にアントニオ・サッキーニ[注 2]に教えを受けた。特にサッキーニの影響により、ベルトンはオペラの分野に傾倒していく。
こうしてベルトンはオペラ作曲家として記憶されることになった。彼の作品の多くはオペラ=コミック座で初演されている。フランス革命で吹き荒れた反聖職権主義の波に乗り、彼は1790年8月23日、「Les rigueurs du cloître」で最初の本当の成功を収めた。「この作品では若い尼僧が堕落したシスターの手で墓に葬られそうになるところを助けられる[1]。」この作品が最初の救済のオペラ[注 3]であるとされる[3][4]。その後、より注目を集めた「Montano et Stéphanie」(1799年4月15日)、「Le délire」(1799年12月7日)、「La Romance」(1804年1月26日)などを発表する。彼が初期に最も成功したのは「Aline, reine de Golconde」(1803年9月3日)であり、この作品は国内外で上演された。後年、彼は悲劇にも取り組み、1823年6月11日にサル・ル・ペルティエを本拠地としていたパリ・オペラ座で初演された「Virginie」は、合計で39回上演された。彼が最も成功したのは「Les deux mousqetaires」であり、1824年12月22日にフェドー劇場[注 4]のオペラ=コミック座で初演されたこの作品は毎年公演を重ね、合計では117回の上演を果たした[2]。
ベルトンは1807年から1810年までオデオン座の音楽監督、1810年から1815年まではオペラ座で合唱指導者を務めた。彼は1817年10月18日のエティエンヌ=ニコラ・メユールの死後、その跡を継いで1818年1月1日からパリ音楽院のメユールの作曲の講座を受け持った。その後、1844年に没するまでその職にとどまった[1]。
この家系の流れを汲み、彼の息子のアンリ・フランソワ・ベントン(Henri François Berton 1784年5月3日パリ-1832年7月19日パリ)も作曲家となり[5]、その作品のいくつかはオペラ=コミック座で上演された[6]。
脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集]- Charlton, David (2001). "Berton, Henri-Montan" in Sadie 2001.
- Sadie, Stanley, editor (1992). 新グローヴオペラ事典. London: Macmillan. ISBN 978-1-56159-228-9.
- Sadie, Stanley, ed.; John Tyrell; exec. ed. (2001). ニューグローヴ世界音楽大事典, 2nd ed. London: Macmillan. ISBN 978-1-56159-239-5 (hardcover). OCLC 419285866 (eBook).
- Smith, Patrick John (1970). The Tenth Muse: A Historical Study of the Opera Libretto. New York: Knopf. OCLC 92025. (1971 reprint: London: Gollancz. ISBN 978-0-575-00669-0.)
- Wild, Nicole; Charlton, David (2005). Théâtre de l'Opéra-Comique Paris: répertoire 1762-1972. Sprimont, Belgium: Editions Mardaga. ISBN 978-2-87009-898-1.