アンジェロ・マッカリエロ・ネト
表示
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
アンジェロ・マッカリエロ・ネト Angelo Maccariello Neto | |||||
ラテン文字 | ANGELO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1955年5月11日(69歳) | |||||
出身地 | サンパウロ州[1] | |||||
身長 | 173cm[2] | |||||
体重 | 70kg[2] | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1989 | コリンチャンス | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンジェロ (Angelo) こと、アンジェロ・マッカリエロ・ネト(Angelo Maccariello Neto、1955年5月11日 - )は、ブラジル出身のサッカー指導者。
経歴
[編集]SCコリンチャンス・パウリスタで長くフィジカルコーチを務め、1989年には暫定監督として指揮を執った[3]。その後はイトゥアーノFCなどサンパウロ州内のクラブに所属。
1992年、イトゥアーノの同僚だったテイシェイラやアマラオと共に訪日し[4]、東京ガスサッカー部(後のFC東京)に加入。今井敏明の下でフィジカルコーチを務めた。2000年には今井が監督を務める川崎フロンターレから招聘され再訪日。
2002年から2004年にかけては小林伸二と行動を共にし、大分トリニータ[2]及びセレッソ大阪に所属した[5][6]。
2006年には横浜F・マリノスで指導に当たったが[1]、シーズン途中で岡田武史監督と共に退任[7]。
指導歴
[編集]- 1975年 - 1978年 クルーベ・アルトス・ドス・ピニェイロス
- 1978年 ACMサンパウロ
- 1979年 - 1989年 SCコリンチャンス・パウリスタ
- 1989年 SCコリンチャンス・パウリスタ : 監督
- 1989年 - 1991年 イトゥアーノFC
- 1990年 インテル・デ・リメイラ
- 1991年 ECタウバテ
- 1991年 GEノヴォリゾンチーノ
- 1992年 - 1995年 東京ガスサッカー部
- 1996年 - 2000年 SCコリンチャンス・パウリスタ : スーパーバイザー[8]
- 2000年6月 - 12月 川崎フロンターレ
- 2002年 - 2003年 大分トリニータ
- 2004年7月[9] - 12月 セレッソ大阪
- 2006年1月 - 8月[7] 横浜F・マリノス
※ 特筆なき限り、役職はフィジカルコーチ
脚注
[編集]- ^ a b アンジェロ氏、フィジカルコーチ就任のお知らせ - ウェイバックマシン(2006年2月11日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2006年1月5日)
- ^ a b c アンジェロ フィジカルコーチ契約のお知らせ - ウェイバックマシン(2002年7月18日アーカイブ分) 大分トリニータ (2002年2月6日)
- ^ Ângelo Maccariello (1989) AcervoSCCP
- ^ 『フットボールサミット 第11回』カンゼン、2013年、180頁。
- ^ アンジェロ フィジカルコーチ就任のお知らせ セレッソ大阪 (2004年7月13日)
- ^ アンジェロ フィジカルコーチの契約について セレッソ大阪 (2004年12月3日)
- ^ a b 登録役員 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2006年8月25日)
- ^ Equipe inicia a maratona Folha de S.Paulo (1996年2月22日)
- ^ 登録役員 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2004年7月16日)