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アンをめぐる人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プリンスエドワード島の風景

アンをめぐる人々』(Further Chronicles of Avonlea、続・アヴォンリー年代記)は、カナダの作家L・M・モンゴメリによる、『アンの友達』の続編にあたる短編集。『アンの友達』を編纂する際に没にされた原稿を保管していた、ボストンの L.C. Page 社が、1916年でモンゴメリとの契約が終了していたにも拘らず、差し止め仮処分命令を無視して1920年に強行出版した[1]。モンゴメリはこれを自分の作品に含める事を拒否している。

収録作品

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各タイトルは村岡花子訳に準拠する。

シンシア叔母さんのペルシャ猫 (Aunt Cynthia's Persian Cat)
スーは資産家のシンシア叔母さんから預かった愛猫が行方不明になり、不興を買わないために度々求婚してくるマックスに助けを求める。
偶然の一致 (The Materializing of Cecil)
恋人を持った事もない女性だと思われたくないシャーロットは、つい架空のロマンスを話してしまうが、創作した恋人と同名の男性が現れ、大慌てする[2]
父の娘 (Her Father's Daughter)
レイチェルは結婚式に別居中の父を招待すると主張して、母と対立する。
ジェーンの母性愛 (Jane's Baby)
反目し合っていた姉妹は、死んだ従兄弟のジェーンが残した赤ちゃんをどちらが養育するかを巡り、鋭く対立する。
夢の子供 (The Dream-Child)
デイビットの愛妻ジョセフィンは、赤ちゃんが死んだショックから立ち直れず、坊やの呼ぶ声が聞こえると言って海辺をさまよう日が続く。
失敗した男 (The Brother Who Failed)
モンロー家が集まった際、唯一うだつの上がらない長兄ロバートは見下げられ、身の置き場が無いと感じる。人生における真の成功とは何かを問う作品。
ヘスターの幽霊 (The Return of Hester)
ヘスターは臨終の床で妹のマーガレットに目下のヒュー・プレアと結婚し、家名を傷つける事のないようにと約束させる。
茶色の手帳 (The Little Brown Book of Miss Emily)
私(アン)が語る物語。私とダイアナは年配のミス・エミリーと知り合いになるが、あまり好きにはなれない。隣家のマレーさんは彼女はとても美人だったと言うけれど。ある日エミリーは亡くなり、アンの家に遺贈されたトランクが運び込まれる。中には思いが綴られた茶色の手帳が入っていた。
セーラの行く道 (Sara's Way)
セーラはかつて求婚したライジ・バクスターの兄弟であるピーターが投資に失敗し、商会を破産させたため、ライジにも疑いの目が向けられている事に憤慨する。
ひとり息子 (The Son of his Mother)
サイラは溺愛する息子のチェスターを、ダマリスという恋人に渡すまいと無理に別れさせる。しかし息子は海難事故で死んだとの悲報を聞き、ダマリスとチェスターの思い出を話し合うようになる。
ベティの教育 (The Education of Betty)
ステファンは失恋し、好きに人生を送っていた。寡婦となったセーラに義理の気持ちで求婚するも、断られる。そこでセーラの手に余るお転婆娘ベティの後見人を買って出る。
没我の精神 (In Her Selfless Mood)
ユニスは臨終の床で、母と弟に尽くすように約束した。引き取られた先でこき使われるが、弟を良く助け、成人後は2人で元の家で暮らす。やがて同居を嫌がる義妹に譲歩し、ユニスは家を去るが、弟は天然痘に罹る。
ディビッド・ベルの悩み (The Conscience Case of David Bell)
ディビッドは長老なのに教会で告解をしないので、罪を告白して悔い改める意思が無い人間と見なされ、家族は肩身の狭い思いをする。
珍しくもない男 (Only a Common Fellow)
フィリパは結婚の日なのに悲しみに暮れている。マークは立派な人だし、結婚してくれるなら借金は棒引きすると申し出てくれるが、戦死したオーエンの事が忘れられない。
平原の美女タニス (Tannis of the Flats)
北西部に赴任してきた電信技士のジェロームは、インディアンとの混血の美少女タニスと親しくなるが、町に兄を訪ねてきたエリナと会った瞬間に恋をしてしまう。

出版の経緯と裁判

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1911年にページ社の求めに応じてモンゴメリが送った初期の短編作品のうち、良作を手直しした上で出版されたのが『アンの友達』であるのに対して、その際には没になった作品を、作者との契約関係が終了していたにも拘らず出版し、裁判になったのが本作である。ページ社が無断で改竄した短編もある[3]

1916年までにモンゴメリはページ社と縁を切り、ストークス社から本を出すようになっていたが、ページ社とは、「アンの名前は出さない」という条件で、初期の作品群の出版に合意していた。ページ社は1911年に受け取った原稿を、「紛失した」と主張していたが、後にこれらの短編を、「地下室で発見したので、契約に従い、それを出版する」と通告してきた。ページ社はモンゴメリが破棄した原稿のコピーを取っており、1920年にそれを使って『アンをめぐる人々』を発行した[4]

「ページ社からはアンの本は出さない」という、ストークス社の許諾を得て結ばれた契約があったが、ページ社は赤毛の少女を表紙に載せ、アンの名前を出さずに、アンの本と錯誤させて販売した[5]

モンゴメリはページ社に対し訴訟を起こし、それは9年近くに渡った[6]

モンゴメリは短編のストーリーや文面を他の作品で既に使っており、「わたしの名を付した本が出版されて、そこにわたしの他の本に書かれている節や描写が際限なく含まれているというのでは、わたしは笑いものにされてしまうでしょう。」[7]と困惑している。また長期に渡る裁判はモンゴメリの心労を加えることになる。

「原稿は1942年4月24日に渡され、その日にモンゴメリは死んだ」との逸話が、村岡花子訳の『アンをめぐる人々』及び『エミリーの求めるもの』のあとがきに書かれているが、村岡美枝訳の『アンの想い出の日々』との取り違えであり、実際は上記の通りである。

日本語訳一覧

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アン・シリーズ一覧

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各タイトルは村岡花子訳に準拠する(『アンの想い出の日々』のみ、その孫である村岡美枝[8]訳に準拠する)。通常、最初に上げられている9冊の本をアン・ブックスと呼ぶ。アン・ブックスをより狭い範囲に呼ぶ場合もあるが、9冊の本は、アンを主人公とするか準主人公とする「アンの物語」である。これに対し、追加の2冊は短編集で、「アンの物語」と同じ背景設定であるが、大部分の作品はアンとは直接に関係していない。アンが端役として登場したり、その名前が言及される短編もあるが、総じて、題名が示す通り、「アンの周囲の人々の物語」である。

書名 原題 出版年 アンの年齢 物語の年代
赤毛のアン Anne of Green Gables 1908 11〜16 1877〜1882
アンの青春 Anne of Avonlea 1909 16〜18 1882〜1884
アンの愛情 Anne of the Island 1915 18〜22 1884〜1888
アンの幸福 Anne of Windy Willows 1936 22〜25 1888〜1891
アンの夢の家 Anne's House of Dreams 1917 25〜27 1891〜1893
炉辺荘のアン Anne of Ingleside 1939 34〜40 1900〜1906
虹の谷のアン Rainbow Valley 1919 41 1907
アンの娘リラ Rilla of Ingleside 1921 48〜53 1914〜1919
アンの想い出の日々 The Blythes Are Quoted 2009 40〜75 1906〜1941
以下はアンとの関連が薄い短編集
アンの友達 Chronicles of Avonlea 1912
アンをめぐる人々 Further Chronicles of Avonlea 1920

脚注

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  1. ^ Mary Rubio, Elizabeth Waterston, Writing a Life: L.M. Montgomery (Canadian Biography Series), Ecw Press, 1995, ISBN 978-1550222203, P.72
  2. ^ アボンリーへの道の第4話「うわさの恋人」でシャーロットをマリラに変えて用いられた。
  3. ^ モンゴメリが1920年4月10日付けで書いた日記にはこうある。「彼らは短編のひとつをぞんざいに改竄し、登場人物の一人が、あり得ない馬鹿げた事をするようにしてしまいました。これでは私の作家としての力量に対する不名誉になってしまうでしょう。こんな会社だとは思ってもいませんでした。最初に短編作品を彼らに送ってしまうなんて私は愚かでした。私は、彼らの願いを容れてそうしたのです。そしてこれがその結果です」Mary Rubio, Elizabeth Waterston, Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II: 1910-1921, Oxford University Press, 2000, ISBN 978-0195418019, P. 376
  4. ^ モンゴメリは1929年2月10日にマクミランへこのような手紙を書いている。「1912年には新しい本の用意ができていませんでしたので、ペイジ社は一冊の本になるだけの短編をすべて送るように言ってきました。わたしは多少とも価値があると思われたものはすべて送りました。出版社は出来のいいものを選び、『アンの村の人々』が出版されたわけです。残りの作品は送り返してきましたが、わたしの知らぬ間にコピーを取っていたのです」。モンゴメリは、あらためて必要になることはあるまいと思い、送り返された原稿は破棄した。『モンゴメリ書簡集〈1〉G.B.マクミランへの手紙』宮武潤三、宮武順子訳 篠崎書林 1992年 ISBN 9784784104963 P. 172
  5. ^ モンゴメリが1920年4月10日付けで書いた日記にはこうある。「ページは今日、『続・アヴォンリー年代記』を一冊私に送りました。それはアンの本に似せてありました。彼らは赤毛の少女を表紙に載せ、全てアンに関する本であるかのように演出してありました。またもや私とページ社間の契約条件逃れです。しかし全てのことが巧みに行なわれていたので、恐怖を感じ、家に本を持っていく事ができませんでした」Mary Rubio, Elizabeth Waterston, Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II: 1910-1921, Oxford University Press, 2000, ISBN 978-0195418019, P. 376
  6. ^ 『モンゴメリ書簡集〈1〉G.B.マクミランへの手紙』172-179ページ
  7. ^ 『モンゴメリ書簡集〈1〉G.B.マクミランへの手紙』宮武潤三、宮武順子訳 篠崎書林 1992年 ISBN 9784784104963 P.174
  8. ^ 花子の(養女)・みどりの実娘であるため、実際は大姪に当たる。

関連項目

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外部リンク

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